「視覚化された近代性 - 19世紀後半から20世紀半ばまで」

2003-12-06

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「視覚化された近代性 - 19世紀後半から20世紀半ばまで」

2003年12月6日(土)
ICU ディッフェンドルファー記念館西棟 多目的ホール

東アジアでは、他の地域と同様に、19世紀、20世紀の近代性の様々な側面や意図が、視覚的イメージによって提示されてきた。絵画とその様々なジャンル、地図とそこに表出された領土の吸収や統合、出版物とその中の犠牲に関するメッセージ、広告とその意図など、これらの視覚的イメージと帝国主義、植民地主義、文化変容のその他の表現は、多様な見るという行為を、あるいはマーティン・ジェイが別の文脈で述べている「近代の視覚的制度」を人々に伝えた。例えば政府、企業、個人は政治的・文化的・経済的な言説の中に埋め込まれている様々な目的に向かって、自らの視覚を組み替えていった。そして言説もまたこの過程の中で再構成されてきた。
私たちは今回のシンポジウムにおいて、一連の示唆に富む研究発表と、それに触発された学問分野の「領域」、「国家」史、学説、方法論にとらわれない議論とがなされることを期待している。発表の後で質疑応答と総括討議が行われる予定である。皆様のご参加をお待ち申し上げる。
国際基督教大学アジア文化研究所所長
ケネス・ロビンソン

李王家美術館にみる近代日本美術ー統治戦略としてのvisual images
李成市(早稲田大学教授、東洋史)
徳寿宮の李王家美術館における近代日本美術と朝鮮古美術の展示の対比を考察する。日本が植民地として朝鮮を統治する過程において設置された博物館や美術館の歴史・経緯とあわせて1933-1944年に時期に継続的に行われた日本美術の展示の意味について考察する。発表者:早稲田大学文学部(東洋史専修)教授。韓国史・東北アジア史。
『東アジア文化圏の形成』(山川出版社、2000年)、『古代東アジアの民族と国家』(岩波書店、1998年)『東アジアの王権と交易』(青木書店、1997年)など、著書・編著多数。広開土王碑や渤海史、朝鮮総督府の歴史編纂・考古学調査など、史学史的な視点から論じた既発表の史論を集め『作られた古代』(三仁出版)を最近(2000年)韓国で出版し、東アジアにおける近代国家形成と古代史研究のありかたについて問題提起をする。また現在、日本・中国・韓国の研究者と共に「東アジア史」の共通テキスト作成に携わっている。

国民国家の視覚化ーロシア人の意識における極東
Yulia Mikhailova(広島市立大学教授、日本史)
地図は近代における世界・自然に対する統制及び理性的な秩序がどのように達成されたかを表現する装置の一つである。本報告は1930年代のソ連大衆誌の資料に基づきながら、国民国家の「空間」において、進歩と工業化の主張を通じてソ連極東がロシア人の政治・地理的意識にどのように統合され、隣国のイメージがその目的にどのように利用されたかという問題に焦点を当てる。発表者:広島市立大学国際学部国際学科教授。
もともとの研究関心は江戸及び明治時代の思想史であったが、現在日本とロシアの国際関係、特に視覚メディアにあらわれた日露相互のイメージを研究している。本研究所紀要所収の"Laughter in Russo-Japanese Relations"(『アジア文化研究 』27号 2001年)では、日露戦争中の日本、ロシア、ヨーロッパの政治風刺漫画を検討し、戦時の日本人とロシア人が互いをどのように見ていたかを論じている。

戦争美術の語法と文脈
河田明久(早稲田大学講師、美術史)
美術はモノであると同時に、メッセージをのせたメディアでもある。言語の場合と同様、その解読には辞書や文法書だけでなく、特定の語彙が用いられた文脈に対する配慮が欠かせない。本発表では、戦時下のわが国で生みだされたいくつかのイメージをもとに、「単語」と「文脈」の両面から「文法」らしきものにせまってみたい。また、戦時下の社会で流通していた「美術の言葉」を欧米諸国のそれと較べることで、美術の「日本語」を理解するヒントを得たいという希望もある。

発表者:早稲田大学非常勤講師。
早稲田大学大学院博士後期課程退学。専攻は日本を中心とする近・現代美術。著書・論文に、『イメージのなかの戦争』(共著 岩波書店、1996年)、『日本美術館』(共著 小学館、1997年)、「日本人の肉体と「正しい身体」」(『現代思想』7月号、2002年)など。

身体美醜という運命
近代日本エリート層の人種的ジレンマと其の可視化の系譜
真嶋亜有(国際基督教大学比較文化研究科博士課程後期、日本社会・文化史)
身体美醜を論じる事が暫しタブーとされるのは、身体美醜があまりに運命性を帯び、且つ人間社会に大いなる関心と影響力を有しているからである。それ故に身体という可視化された運命を巡る人々の情念は、いつの世も尋常ではない。そして近代において、決定的に人々を惑わせた可視的運命は「人種」であった。本報告では、近代日本エリート層の身体美醜と人種意識の狭間で揺れ動いた ―「黄色人種」という運命への超克― を検討する。

発表者:国際基督教大学大学院比較文化研究科博士課程。
近代日本社会・文化史。論文「肉食という近代─明治期日本における食肉軍事需要と肉食観の特徴」(『アジア文化研究』別冊11号、2002 年)、「身体の≪西洋化≫を巡る情念の系譜 ─明治大正期日本における≪一等国≫としての身体美の追求と其の挫折─」(武藤浩史・榑沼範久編『運動+(反)成長 身体医文化論㈼』慶應義塾大学出版会、2003年)ほか。

質疑応答
司会 ケネス・ロビンソン(国際基督教大学社会科学科準教授・アジア文化研究所所長、歴史学)

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