Summaries from Number 43

国際基督教大学キリスト教と文化研究所発行
国際基督教大学学報 IV-B

『人文科学研究(キリスト教と文化)』

International Christian University Publication IV-B
Humanities: Christianity and Culture


A Brief History of Post-Lockean Unilateralism: Barbeyrac, Carmichael, and Hutcheson on Property. . . . . . Kiyoshi Shimokawa (Professor, Gakushuin University)


   There are two distinct lines of thought which we can find in the early modern European discourse on the origin and justification of property. One is a conventionalist line represented by Grotius, Hobbes and Pufendorf. The other is a unilateralist one, which was hinted at by some Puritan colonists in America and came to be clearly formulated in the language of Locke. The former makes a mutual compact of human beings a necessary condition for the emergence and justification of property. The latter dispenses with the compact altogether, and claims that a unilateral acquisition of natural resources under certain favourable circumstances sufficiently explains and justifies property. It is Locke who proposed his unilateralist theory of appropriation as an alternative to the earlier conventionalism of Grotius, Hobbes, and Pufendorf.


   The purpose of this paper is to give a narrative of the development of post-Lockean unilateralism. It considers the works of Jean Barbeyrac, Gershom Carmichael, and Francis Hutcheson. It seeks to provide textual evidence to show that there is a significant line of continuity from Locke to Hutcheson, while it also involves the use of diverse strategies and arguments. Barbeyrac and Carmichael inherited Locke’s basic principles though they added one or two claims of their own. Hutcheson modified Locke’s unilateralism by combining his functionalist and humanitarian views with Locke’s insights. In the Inquiry Hutcheson seized upon the consequentialist part of Locke’s unilateralism, and recast it in terms of self-love and motives to industry. In the Short Introduction, he appealed to the general interest of all, but he focused more sharply on the sense of humanity or the lack of it by discussing the case where one intercepts the product of another’s honest labour. And in A System of Moral Philosophy, Hutcheson linked human labour to ‘the immediate feelings of our hearts’ as well as ‘the consideration of the general interest’. Despite the diverse views found in Hutcheson’s early and later works, it is possible to see that Barbeyrac, Carmichael, and Hutcheson are united in defending the unilateral mode of appropriation, and rejecting the claim of conventionalism.


初期近代における読書と思想:ロバート・ボイルの化学的原子論の場合. . . . . . 吉本 秀之 (東京外国語大学教授)

[Reading Books and Evolving Ideas in Robert Boyle’s Chemical Atomism. . . . . . Hideyuki Yoshimoto]



 ボイルが現実に手元において使った書物を明らかにするため、第1に私自身が『ボイル著作集』『ボイル書簡集』の全体にわたる引用分析を行い、第2にブルガリア人科学史家アヴラモフ並びにロンドン大学歴史学教授マイケル・ハンターとの共同研究により王立協会ボイル草稿の全体をも分析対象として解析を行った。こうした分析結果と初期近代における読書習慣の研究成果に基づき、ボイルの化学的原子論は、ゼンネルトの『自然学覚え書き』(Hypomnemata Physica, 1636)における質的原子論から出発し、ガッサンディの厳密な原子論へと展開したことを論じた。さらに、「ミニマ・ナチュラリア」の伝統にたつゼンネルトの質的原子論においても、「分子」を導入したガッサンディの原子論においても、化学的現象の説明のための化学的粒子の想定が基本にあることを指摘した。


「人の世の移り変りは木の葉のそれと変りがない」──『イリアス』第6歌におけるグラウコスとディオメデスの出会いについての一考察、特にグラウコスの死生観をめぐって──. . . . . . 川島 重成

[‘Just as are the generations of leaves, such are those of men’ ― Glaucus’ conception of life and death in the Iliad VI. . . . . . Shigenari Kawashima]



 『イリアス』第6歌におけるグラウコスとディオメデスの出会い(一騎討ちならぬ一騎討ち)のエピソード(119-236)は、さまざまな解釈上の問題を含む。本稿はそれらの諸問題、とりわけグラウコスの死生観をめぐる一考察である。


 ディオメデスはギリシア勢の名だたる英雄であるのに対して、トロイア勢に付くグラウコスはほとんど無名の若者である。因果応報の戒めを語りつつ一騎討ちを挑んできたディオメデスに対して、グラウコスは「人の世は木の葉のさまに等しい」との全く別の人生観で応じ、武勇における彼我の圧倒的な差異を相対化する。グラウコスは、ディオメデスの強力な威嚇に巧妙なずらしのレトリックで対峙し、同時にこの一騎討ちを実質的に人生観のアゴーン(競いあい)と化す。この解釈の裏付けとして、本稿は第6歌150-1行について新しい読み方を提示し、καὶ ταῦτα(150)は従来の解釈・翻訳と相違して、「木の葉のさまに等しい」とのグラウコスの死生観を指すとする。この人生観・死生観のアゴーンにおいて、グラウコスはディオメデスと堂々とわたりあい、むしろ優位に立つのである。


 グラウコスは彼の死生観の例証として60行にわたって己が家系の物語(151-211)を語るが、ベレロポンテスの生涯がそのほとんどの部分(155-205)を占める。神々がベレロポンテスに与えた美しさと雄々しさが彼の禍に転じる。アルゴス王の妃が彼への恋に狂い、そのため彼はアルゴスからリュキエに追放されるが、神々の助けを得て、さまざまな試練を克服し、逆にリュキエ王の娘を娶り、王権の半ばを恵与される。この彼も悲惨な後半生を送らされる。孤独に荒野をさまようベレロポンテス──この彼の生涯こそ「人の世の木の葉のさまに等しい」有為転変の運命の典型であった。


 グラウコスが語るベレロポンテスの物語の素材となった民話においては、天馬ペガソスとの結びつきがその中心にあった。それはベレロポンテスが天馬ペガソスに乗って天に飛翔し、そのヒュブリスによって突き落とされたとするものであった。しかしグラウコスはこのエピソードに言及することを意識的に避けた、と解される。グラウコスの死生観は、それ自体ホメロスによる宗教的洞察であり、アポロン的宗教性の表白である。ホメロスは第21 歌でアポロンに同様の「木の葉に等しい」人間のはかなさを語らせている(462-7)。


 グラウコスが語り終えると、ディオメデスは彼の死生観そのものには何の関心も示さず、二人が実は先祖伝来の「クセニア」(主客友好関係)で結ばれる者同士であったとの発見を語り、そのしるしとしての贈り物の交換を提案する。しかし本来は互恵性の原則によって成り立つ筈のこの贈り物の交換は、ゼウスの介入でグラウコスの判断が狂わされたことにより、グラウコスにとって全く屈辱的ともいえる奇妙な形で終る。ここにホメロスのユーモアが窺えよう。これはかの死生観のアゴーンにおけるグラウコスの「勝利」(と期待されていたもの)に、もう一度どんでんがえしをもたらす。これもまた「木の葉のさまに等しい」とのグラウコスの死生観を例証するものであった。


ニーチェ哲学における「自由と必然」──中期作品~『ツァラトゥストラ』を中心として──. . . . . . 五郎丸 仁美

[“Freedom and Necessity” in Nietzsche’s Philosophy―Concentrating on his Middle Period and “Zarathustra”. . . . . . Hitomi Goromaru]


 ニーチェ哲学における自由─必然の問題は、超人思想と永遠回帰説の矛盾として最も先鋭化するとされてきたが、一方でツァラトゥストラは自由と必然の一致を歌いあげてもいる。この事態をどのように解釈すべきだろうか。


 そこで中期まで遡って、上記の矛盾の前形態と思われる「自由精神」と「自由意志の否定」の共存に関する叙述を追うと、自由─必然が寧ろ常に逆説的相関関係にあることが分かる。まず価値創造の自由へと向かう必然的な衝動というものが存在し、それが覚醒する選ばれし者が自由精神である。自由精神はかの衝動に従ってあらゆる幻想、殊に自由意志という幻想の破壊者となり、一切は必然であると認識するが、それによって新たに罪や後悔、疾しい良心からの自由が拓け、無垢なる軽やかさが近づく。また必然性のうちでも、生命感情の高揚においては自由の感情を享受することが可能であり、この場合の自由は力とほぼ同義で、生を活性化する。必然性の内なる自由の感情は、カオス的世界の必然性を美として肯定しようとする運命愛へと昇華する。


 以上の相関性を超人─永遠回帰に置き移すと以下のように解釈できる。即ち、自由精神の子孫として価値創造の自由を獲得する超人へと向かう必然性が永遠回帰の内に組み込まれており、また超人は自由精神による必然性の認識が準備した永遠回帰思想を血肉化していて、その暗黒面に脅かされることがない。超人は罪悪感や自責の念のみならず徒労感からも完全に自由な子供のような遊戯者だからである。最後に、必然性の内で享受される自由の感情は、超人が永遠回帰の内で、その運命を愛することによって生命感情を高揚させ、自由ないし力の感情を存分に満喫する、ということを意味するだろう。


 従って超人思想と永遠回帰説は自由と必然として切り結ぶわけではない。超人が到来してもいつかは再び現在の卑小な人間の時代が回帰するという徒労感が問題なのだ。このため自らの思想である永遠回帰説に躓いてしまうツァラトゥストラは、この教説が孕むこの虚無を克服して一切を差し引きなしで肯定しつつ必然性における自由を謳歌するという超人の境地を、知的憧憬によって先取し、生成の必然性を戯れとして美化した仮象世界のうちではあれ、自由と必然の一致をリアルに感得していたと考えられるのである。


*ウェブ掲載に当たって、傍点を下線で代用した。


Theorizing the Okinawan body ― Fieldwork on physical gestures in the performance of Okinawan classical music. . . . . . Matthew A. Gillan


   Musicians in traditions around the world use their bodies in a variety of ways in the process of performing and teaching music. The most obvious example is the movement required to physically produce sound from an instrument. Movements are also widely used to transmit particular emotions during performance, to signal to other musicians or members of the audience, or to communicate between teacher and student in the transmission process. This paper presents the results of an ongoing fieldwork project to investigate the use of physical gestures in Okinawan classical music, a tradition that uses a number of stylized gestures, particularly those of the hands and head. These physical gestures are quite often discussed in the course of lessons and performances, and have also been theorized to some extent by Okinawan musicians and scholars.


   In this paper I focus particularly on movements of the head and upper body in the Okinawan tradition. I consider the ways that these movements were theorized and formalized in the early 20th century by Okinawan music scholars, as well as through their incorporation into a notation system. I also analyze two field recordings made during the course of the project. The first of these illustrates the use of upper body movements in performance as a way of embodying melodic movement, while the second illustrates how body movements are actively used as a part of the teaching process.


植村正久「伝記的スケッチ」:解題・翻刻・翻訳 [PDF]. . . . . . 吉馴 明子 (恵泉女学園大学名誉教授)

[Masahisa Uemura’s “Biographical Sketches”: Introduction, Reprint and Translation. . . . . . Akiko Yoshinare]



 植村正久(1858-1925)の“Biographical Sketches”はF.W. イーストレーキ編集のThe Tōkyō Independentに掲載された日本古典文学の評論である。その紙面が変色していたため、翻刻しながら丁寧に読む必要があった。この作業を通じて、これらの評論が単に西洋人への日本古典の紹介ではなく、彼のキリスト教信仰にも影響を与えていると確信するに至った。


 植村は、海老名弾正との福音主義論争や、内村鑑三不敬事件に際して発表された「敢えて世の識者に告白す」から知られるように、キリスト教をオーソドックスに語り、かつ社会的視野を以て政治的圧力と戦える人である。彼の論争的発言には、論敵の問題点を白日の下に曝す鋭さがあり、現代の我々にも了解可能である。しかし、植村には、自分自身が困難のなかで祈りあかし、教会員や学生一人一人の心に寄り添う情にもろい、論理では伝えきれない側面もあった。そのような姿を物語る証言は事柄の性質上個人的で、その上植村びいきの発言として無視されることが多い。この欠如を補うものとして文学論が助けになるのではないか。ことに今回紹介する“Biographical Sketches”は、英語とキリスト教文化を介することで、植村の時代から遠く離れた現代の我々に、植村の「感性」と、彼が「内なるもの」へ託した思いを伝えている。


 “Biographical Sketches”は1886年1月から2月にかけて、1.菅公(菅原道真)、2.西行、3.平家物語、4.紀貫之の4篇発表されたが、「菅公」は見つかっていないので、西行以下の3篇を翻刻・翻訳し、それらについて筆者が着目した点を解題として付した。


 「西行」では、西行の出家について、世を捨てた宗教者の姿が描かれている。他方で西行が歌と美に託した願いについては肯定的に捉えている。こうして描かれる彼の禁欲と内面の情熱への共感が興味深い。「平家物語」では、「諸行無常」の仏教的世界について鐘の音を題材に触れている。中心は興亡の激しい武士の時代に清盛という権力者に弄ばされた「白拍子」が仏教に帰依する物語で、「仏性」の平等を紹介している。これは植村の仏教論への入り口になったと思われる。以後、日蓮・法然によって、武士にとっての仏教とは何か、それが社会的にどう継承されていくかを問題にしていく。この点については稿を改めるが植村にとって宗教は本質的に「エートス」だったのではないか。「紀貫之」では、『土佐日記』や『古今和歌集』の序などを取り上げて貫之が模索した文学表現について語り、併せて植村自身の和漢文学論を披瀝する。さらに、貫之の和歌では、「花鳥風月」の詠嘆の世界を描くと共に、人が心のうちで憧れる「永遠」への思いを英訳詩に滑り込ませているのが興味深い。


 “Biographical Sketches”が、日本のキリスト教受容に際して起こった文化接触・交流の解明に役立ち、さらに文化と宗教との関わりについて研究を深める手がかりになることを願う。


解題・翻刻・翻訳(対訳形式・PDF 1.8MB)ダウンロード

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