Perspectives on Korean Missions to Japan: Their Legacy to Modern Japan and Korea

Saturday,June 25,2016

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日韓シンポジウム 「近代日韓における朝鮮使節団に対するまなざし」

Perspectives on Korean Missions to Japan: Their Legacy to Modern Japan and Korea
2016年6月25日(土) 13:00-17:30 ICU本部棟206

江戸期通信使時代のいわゆる「友好」が植民地時代の「暴力」に急に変わったかに見えるほど、日韓両国の相互認識の歴史には空白がある。特に19世紀の研究が日韓両国において客観的に行われていなかったので、現在日韓両国の相互認識も誤解や紛争の余地を持っていると思われる。本シンポジウムでは、こうした幾つかの問題点を考慮して、日韓両国の立場と視野の差異、新しい時代を眺める態度の違いなどを提示し、それを通じて相手(他者)をどう認識し、また自己をどのように形成していったかを検討したい。

The so-called “friendship” of the era of diplomatic missions during the Edo period appears to have changed suddenly to the “violence” of the colonial period, but the abrupt change suggests there is a gap in the history of mutual understanding between Japan and Korea. Research about Japan and Korea in the nineteenth century was not done objectively and that seems to have created misunderstandings and conflicts between the two countries today. In this symposium we will take into account these various problems and present different positions and points of view about Japan and Korea as well as different attitudes toward the future. In doing so we will consider how the other side (the “other”) has been understood and how the “self” has been constructed.

Time Table
13:00-13:10 Opening Speech
高澤紀恵 (ICUアジア文化研究所所長)
13:10-13:40 修信使の日本に対するまなざしの温度差:『日東録』、『東行日録』、『東京日記』をとおして
文淳嬉(仁川大学校日本文化研究所)
修信使が見た日本という大きなフレームで語ることは多くの記録が確認されている現時点ではすでに不可能であり、当時の日本に対するまなざしを一定化することはできない。1876年から1885年まで朝鮮から日本に派遣された修信使(朝士視察団)らが日本での経験を記した記録は大凡20種である。それら記録は、書き手の身分、書かれた時期、また公的な報告書や私的な日記など、それぞれ性格が異なる。これらの記録を並べてみると、そこからは微妙な温度差を感じることができる。本発表では、1881年朝士視察団に随行した随行員の記録、『日東録』、『東行日録』、『東京日記』を通してそれぞれのまなざしの温度差をみてみようと思う。
13:40-14:10 通信使と修信使の筆談の相違
文淳嬉(仁川大学校日本文化研究所)
(韓国語での発表となります。日本語訳の配布資料有り)
19世紀以前韓国、日本、中国は共通して漢字を使用したが、言語は其々異なっていたため、外交使節を派遣する際は訳官を同行させた。しかし私的な席まで訳官を同行させることはできず筆談を通して交流した。通信使が派遣された時代は日本の公式的な外交の相手国は朝鮮のみであった。そのため日本の知識人らは積極的に朝鮮通信使の一行と筆談を交わした。しかし修信使が派遣された時代、すでに日本は多くの国家と交流を交わしており朝鮮が占める比重が相対的に軽くなった。そのような時代の変化に伴い筆談の比重や機能も変化した。
14:10-14:40 通信使から修信使へ
髙橋博巳(金城学院大学名誉教授)
朝鮮通信使と日本の文人の間で行われた詩文書画の交流は、さながら学芸共和国の観を呈していた。木村蒹葭堂グループと通信使の交流は海を越えて、ソウルの知識人に伝えられ、彼らはやがて北京に赴いて交流の輪はさらに広がっていった。ここでは江戸時代最後の通信使と明治の最初の修信使の、主に文事を取り上げて比較することによって、通信使から修信使へどのように変化していったかを見てゆくことにしたい。
14:40-15:10 Discussion※ (司会:Robert Eskildsen (ICU))
15:10-15:30 Tea Break
15:30-16:00 朝鮮修信使と明治政府
落合弘樹(明治大学文学部教授)
日本側の修信使に対する接遇は儀礼的には丁重だったが、幕末の内憂外患を克服し開化に一歩先んじたという優越意識が存在し、在野においても日本による開化への誘導を当然の前提とする論調は強くなる。修信使側も日本型の開化への懐疑と評価が交錯し、開化路線の展開は順調には進捗しなかった。そして、日本と朝鮮の双方とも伝統的観念から抜け切れていない状態のまま、ナショナリズムにもとづく国民感情が相互認識として形成されていく。
16:00-16:30 修信使から見た明治日本
河宇鳳(全北大学校人文大学史学科教授)
修信使とは1876年朝日修好條約(日朝修好条規)を締結した後日本に派遣された外交使節のことである。これは伝統的な交隣外交政策から近代的な外交秩序にシフトする過渡期的な性格を有する。修信使の日本に対する認識はそれ以後朝鮮の対外政策と近代化路線を決める上で重要なファクターになったという点において大きな意味がある。
今回の発表では修信使の派遣と活動内容を考察し、彼らが残した著述を通して日本の近代的文化と新しい変化に対してどのように認識していたのかを分析したい。
16:30-16:40 Break
16:40-17:20 Discussion※ (司会:小島康敬 (ICU))
17:20-17:30 Closing Speech (小島康敬 (ICU))

※逐次通訳有り、厳錫仁(オム・ソクイン、筑波大学国際日本研究教授)

Poster

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