2004 冬学期 NSIII 「自然の化学的基礎」 課題 I 「川と人間生活」

 

市民の憩いの場としての甲突川 

                        泊 さやか

 

 鹿児島市の中心部を、源流から20kmほどで錦江湾へと流れこむ、桜島とともに鹿児島市のシンボルである甲突川。その上流には浄水場があり、市民に飲料水を提供する、シラス台地のため小規模な川の多い鹿児島では、有数の貴重な飲料水の源である。それだけではなく、その川岸は市民の憩いの場である。左岸に植えられた桜が満開になれば花見をする人々の姿が見られ、春・秋には植木・鉢物などの様々な出店が並ぶ“木市”が催され、朝・夕は犬の散歩やジョギングをする人、公園で遊ぶ子どもたち、というふうに人々の生活に様々に関わっている。岸も川底も洪水防止のために護岸工事のコンクリートで固められていて、本来の姿からはほど遠くなってしまっているが、上流にいくにつれて、川岸に自然の草か生い茂り、流れに勢いのある川らしい姿になってくる。浄水場を過ぎ、さらにさかのぼると、流れは森の中に入っていく。鹿児島市内とはいっても市街地をでると山林が広がって、中にはひんやりとした空気がただよう。杉林を進み、川中に石というよりもむしろ岩といったほうがよさそうなのが増えてくると、湧き水がみつかる。そこでは夏の夜、ホタルが飛び交うのが観察できるそうだ。源流のほうは水がよりきれいということである。

 

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春―甲突川から桜越しに桜島を臨む

 

 この桜並木は1975年に(社)鹿児島青年会議所(JC)が生活排水やゴミのポイ捨てによる甲突川の汚さを見かねて清掃を始め、その後河畔を市民の憩いの場にしようと1977年に千本桜の植樹の計画を立てたことに由来する。

 

 

 普段は穏やかに流れているこの川は、梅雨など雨が多くなる時分には水かさが増し、流れも速くなる。1993年の夏、集中豪雨で甲突川が氾濫し、川沿いの民家はもちろん遠く街中もボートで避難するほど水につかった。土砂崩れで県内のJR・市バスといった交通機関がストップし、NTTケーブルが切断されて電話が50%規制され、浄水場の一つが水没し断水、19300戸で停電。鹿児島空港は飛行機が欠航となったが道路が通行止めで、孤立状態となり、約1000人がロビーで夜を明かした。そして、川にかかっていた石橋も流されてしまった。

 

 

         川岸の流木

 

 江戸時代に作られ、水害前まで現役だった歴史的文化財である石橋の移転については反対意見も多く、難航したが、やはり災害に耐えられるようにと新しく架橋され、今現在、石橋記念館に移設された。そして甲突川は洪水防止の改修工事で岸はさらに固められた。洪水で家が床上浸水したり、車がだめになったり、ボートで避難したりしたことを考えると、もう洪水は起きてほしくない。だから護岸工事はやむをえないと思う。確かに、甲突川緑地がつくられ、散歩道や公園があって、それなりに緑はある。上流はホタルがとぶくらいきれいなままである。しかし、川中は澄んでいるとは言い難く、ゴミは減らない。だから自然のままの姿にしておくのは人間が生活するのに支障があるので、身近な自然として、できる限り元の姿に近い形であるように、汚さないのがこれからも市民の憩いの場とするのによい方法ではないだろうか。

 

         移転された石橋

 

 

           冬―甲突川から桜島を臨む

 

参考 www.kagoshimajc.or.jp/news/2003

     www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kumamoto

     www.asahi-net.or.jp