私と阿武隈川(福島県)

 

 私は、生まれた時から上京するまでずっと福島県に住んでいた。実家の近くには阿武隈川という日本で6番目に長い川が流れていた。その川は私にとって当たり前のようにすぐ近くにあり、身近な存在過ぎて特に気に留めることもなかったほどである。

 

 その川をあまり意識したことのない私にとって、どのように川との関わりをもってきたかということについて思いつくことは容易でない。しかし、今までの生活を振り返ってみると、生活の様々な部分で直接的に関ったり間接的に恩恵を受けていることが分かる。例えば、幼稚園や小学校の頃、堰堤公園に遠足や散歩、浄水場見学としてよく訪れていた。その堰堤公園には阿武隈川のダムがあり、その大きなダムと大量の水を見るたびに水の力強さそして自然の大きさを感じていたものだ。それだけではなく、春には桜トンネル、秋には紅葉が素晴らしく家族や友達と毎年見に行き、そのダムは私に憩いの場を与えてくれた。

 

 他にも、冬になると家族と一緒に阿武隈川へ行き、白鳥にえさをやって遊んだりしたものだ。また、阿武隈川の流域付近に、あぶくま洞という鍾乳洞があり約8000年という歳月をかけて創られた大自然の芸術、滴り落ちる地下水の容食作用によってできた美しい鍾乳石などは私の心に、水の神秘的な力を刻み込んでくれた。それだけではなく、小学校・中学校・高校も福島の学校で、いつも校歌の中で「阿武隈」という言葉が出てきて、昔から私たちの生活の中の大事な部分だったということが知ることができる。

 

 そして今も、私の目には、阿武隈川は人間の力を超えた何か大きな力を秘めているように映るのである。それは癒しだけではなく、洪水など自然災害をも引き起こせる恐怖感も感じさせられる。父親の話によると、数十年前に大変な洪水があって人の住んでいるところまで水が上がってきてとても大きな被害を受けたということだ。また阿武隈川の水が緑色になってしまったということは私自身のライフスタイルを見直すきっかけも与えてくれる。

 

 阿武隈川について調べていくうちに様々なことが分ってきた。経済高度成長に伴って阿武隈川の水質は悪化の一途を辿り、東北一級河川の中で7年連続ワースト1だったことがあるようだ。だが近年は少しずつ改善されてきて水質環境基準のBOD(生物化学的酸素要求量)値は徐々に低下している。そして阿武隈川の支流である福島市の荒川は、2004年の国土交通省河川ランキングで日本1(平均水質0.5ミリグラム)に輝き、全国166の一級河川の中でトップの評価を受けた。

 まだ他にも阿武隈川と私の生活との関わりはたくさんある。阿武隈川流域の温泉、お祭り、文学の世界などである。これらのものは阿武隈川がなければ存在しなかっただろう。川は文化を生み出すといっても過言ではないと思う。まず、温泉である。福島にはたくさんの温泉地があり実家の近くだけでも土湯温泉、岳温泉、飯坂温泉と様々な温泉が楽しめ、小さい頃は毎週末家族で行ったものである。それらは全て阿武隈川の流域で恩恵を受けているといってもいいだろう。そしてお祭りは福島わらじ祭りや日本三大提灯祭りのひとつである二本松提灯祭り、また郡山うぬめ祭り等がある。これほど様々な祭りがあり盛り上がるのも阿武隈川があるからで、昔人々が農業のために集まってきて豊作を祈るようになったからである。

 

 そして阿武隈川は文学の世界まで影響を及ぼしている。最も有名なものでは、松尾芭蕉が「奥の細道」の中で詠んだ歌で

 

心許(もと)なき日数重るままに

白川の関にかかりて旅心定まりぬ

 

 この歌の中の「白川の関」は福島の白河という場所の関所である。この重要な関所を越えると陸奥、つまり東北で、その関所を越える感懐が詠まれている。また松尾芭蕉が通ったルートを見てみると阿武隈川に沿って北に向かっていることが分かる。そこから阿武隈川と「奥の細道」との関わりが見えてくる。

 

 その他にも「あぶくま」は歌の中で歌枕として使われたり、「あぶくまかわ」の「あふ」を男女の「逢う」の意味として使うと同時に、阿武隈川がはるかな陸奥の地にあることから、その「遠さ」を暗示するのに使われた。

 

 このように、川は生活に必要な飲料としての役割だけではなく、私たちの生活や文化など様々な面で影響を与えているのである。そしてこれからも阿武隈川は私たちにおいしい水や癒し、教えを与え続け、私たちの文化を更に豊かにしてくれる存在であってほしいと思う。

 

参考文献

http://www.thr.mlit.go.jp/fukushima/school/index.html

 

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