人間のエゴにつき合わされる水

 

                        041519 脇 麻維子

 

人間はみんなエゴイストです。理由の一つに、人間は自分たちが地球上にいる生物の中で一番優れた存在だと思っていることがあげられます。

こんな話があります。ある日、地球の創造主が現れて、「みんなの願いを一つ叶えよう。私がもう一度現れるときにみんな心の中で願いを一つ願いなさい。一番多かった願いを地球の願いとして叶えよう。」と言いました。アメリカの大統領や日本の総理大臣、ロシアの書記長、中国の主席は国民がとんでもない願いを願ったら世界は混乱してしまうと考え、一つの提案をします。それは願いなど最初からなかったことにしてほしいと願うことでした。大統領は世界中の人々にテレビを通じて呼びかけました。そして創造主が再び現れたときにみんなは心の中でそれぞれの願いを思いました。すると創造主はこう言ったのです。「みんなの中で一番多かった願い、それは、地球を痛めつけ、他の生きものの生存を脅かす“人間”という生物を地球上から抹消することだ。それを叶えよう。」そして人間はすべて消えてしまいました。地球上の“みんな”とは植物・人間以外の動物を含めた生きものすべてのことだったのです。そのことに人間は気付いていなかったのです。

私はもし創造主が本当にいるのなら、この話は本当に起こり得る話だと思いました。人間の身勝手さを顕著に表した非常におもしろい話です。

水は「地球上のどこにでもある最もありふれた物質だ」というのならそれもまた人間のエゴであると思います。人間が地球上に登場してから約400万年、今まで生きてこられたのは水という物質が地球上に“ありふれて”いたからでしょう。もしも水がありふれていなくて、しかも簡単に手に入るような物でなければ、たとえば石油のように掘り出さなければならないだとか、あと何百年もすれば尽きてしまうだとか、そんなことになれば、地球上のあらゆる生物はとうの昔に滅びていたでしょう。水は生きるために摂取することが必要不可欠であり、また、水さえあれば他に食べ物がなくても、数日間少なくとも生き続けることはできます。それでも注目すべき所もない、特別な物質でもないと言い切ることができるでしょうか。ありふれていることが特別ではないとは言えません。

環境汚染もまた人間のエゴから来たものです。人間の生活・工業排水がなければ水は濁りません。そこに住んでいる生きものたちも影響を受けません。人間が海が自然分解できない物を作りすぎたせいで、海はもう食道破裂を起こしそうです。汚染物を分解しきれないのです。

私たちは水を必要としますが、水は私たちを必要としません。それなのに人間が高いところに立って水を見下ろすべきではないでしょう。もっとも水は低いところに流れて行ってしまいますけれども。人間もまた水にならって低く、低姿勢であるべきなのです。そうでなければ、もし水に意志があり、自身の力で動くことができたなら、きっとあきれ果てて地球から去って行くことでしょう。


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