水――古典の授業から 

 

「水は無味、無臭、無色透明で、物理・化学的に特に注目すべき特徴もない。しかも、この地球上のどこにでもある最もありふれた物質だ」

 確かに、君たちの周りには水がありふれているかもしれない。水道をひねればいくらでも出てくるし、地球上の3分の2は水で覆われているということを知識として知っている人もいるでしょう。何かと混ぜても特別な反応を起こしたり、独特な味に変えてしまうということもない。一見、何の特徴もないモノに見えてしまうかもしれないね。

 でもその表面上の特徴の無さやあまりにも身近にあるという理由で、私たちは水を軽視する傾向にないかな?洗濯、料理、お風呂、トイレ、娯楽、水はどこにでも使われている。そして多くの人が“水を大切に使う”という概念に気付かないまま。さらに、水は多様に変化する美しい物質だということにも、あまり注意が払われていないんじゃないかな。よくまわりを見渡してみれば、万化する水の様子、その美しい特徴は他のどの物質にも見られないってことに気付くはず。昔の日本人は、それをよく知っていたと思うよ。

 だからこれから、みんながよく知っている「源氏物語」の和歌を中心に、昔の人が水をどのように見ていたかちょっとお話しようと思います。

 

 まず、日本最古の史書である古事記に、日本誕生の様子が描かれているよね。そこにはヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトの話があります。有名な個所ですね。その時スサノオが手にしたのが草薙の剣。この剣の元の名前は天の村雲の剣といって、剣とそれを持っていた大蛇の上に常に雲気が立っていたとされています。この雲気はつまり剣の偉大なる霊威を表しています。その後スサノオが出雲で結婚するときに、その聖なる地を称えて「八雲立つ出雲」と詠むんだけど、これは雲が盛んに湧き上がる出雲という意味で、その地の霊力や神の力が盛んで不滅だということ。このように、天上界と地上界つまりあの世とこの世の境に現れる雲は、活力に満ちて沸々と湧く超越的・霊的なものだとみなされていたんです。だから、雲を超えて飛ぶ鳥はあの世へ魂を運ぶだとか、亡き人が鳥に姿を変えて彼岸へ飛んでいくんだとかいう解釈が中世までずっと続いていますね。「源氏物語」でも、光源氏の正妻の葵の上が亡くなったときに、葵の兄である頭の中将が

雨となりしぐるる空の浮雲を いづれの方と分きて眺めむ

と詠んでいます。これは、火葬され煙となって立ち昇っていった葵の雲は、今時雨となって降る空の浮雲の、どれなのか見分けることもできないと妹の死を悼んでいる歌なのです。この雲という物体が、水でできていることはみんなも知っていますね。

 

 次はこの歌を見てください。

かきたれてのどけきころの春雨に ふるさと人をいかにしのぶや

これも「源氏物語」に出てくる歌で、光源氏と密かに想い合っていた玉鬘の君が、思いもかけない人と結婚させられ源氏と引き離されてしまい、それを悲しんだ源氏の歌です。“降る”と“ふるさと人”、なつかしい人つまり源氏との掛詞が使われています。

これに対し玉鬘はこう返歌しました。

ながめする軒のしづくに袖ぬれて うたかた人をしのばざらめや

この“ながめ”とは“眺め”と“長雨”をかけています。空一面を暗くして降り注ぐ雨は、心を暗鬱にして流す涙とそのまま共感的に重なり合うものとして、昔から広く使われてきました。この雨も、当然水の姿ですね。日本人は昔から雨に敏感な民族であるといわれています。農耕民族であり、雨の有無や時期がそのまま死活問題につながったからでしょうね。また四季がはっきりとした日本では、その違いを敏感に感じ取り、英語ならばrainと一言で訳されてしまう雨に様々な名を付けてきました。夕立、春雨、五月雨、時雨、霧雨、菜種梅雨など、みなそれぞれの特徴を活かした美しい名前がついていますね。

 またこのような季節ごとの春雨や時雨が、天からの時節ごとの賜物であり、草木の花や芽を呼び起こしたり、もみじの色を美しく染めるなどといった考え方が昔からあるのです。

龍田川錦織りかく神無月 時雨の雨をたてぬきにして

これは古今和歌集に載っているものですが、山のもみじを龍田姫という秋の女神の機織り物に見立て、霜や霧を用い、また降りそそぐ雨を糸にたとえて秋の紅葉の美しさをみごとにあらわしていますね。

 

 さて、日本は山々が中心を連ねる国であり、そこに豊かな雨が注ぎます。そうするとどうなるかというと、多くの滝ができ、川となって海へとほとばしりますね。滝は古くは“垂水”と呼ばれ、滾るという語から来ていて、水が湧き立ち激しく流れるという意味です。音を立てて激しく絶えることなく流れていく滝や急流に、昔の人は自分の想いをしばしばかさねました。

筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりける

瀬をはやみ岩にせかるる瀧川の われても末にあわんとぞ思ふ

ふたつとも百人一首に入っているので有名ですね。前者は残忍な奇行で知られた狂気の天皇、後者は乱に敗れて島流しにされ、怨霊となって後々まで京都を呪い続けていたとされる天皇の歌です。自分の激しい想い、絶えることのない休息のない世界をうたいあげている様からはそんなことは読み取れませんね。

 

 またこんな歌があります.

春霞かすみて去にし雁がねは 今ぞ鳴くなる秋霧の上に

この歌にある通り、霞と霧の違いはというと、春に現れるものを霞、秋に現れるものを霧と呼んで区別したようです。水というものは、本当に様々に姿を変えますね。まず霞の方ですが、これは春の景物として定着し,春は霞と共にやってくるものという考え方がありました。

春霞たてるやいづこみ吉野の 吉野の山に雪は降りつつ

という歌があるように、冬さながら雪が降っていても、天空に霞が立てば春の到来だということですね。

 霧の方は、夕べに立って朝には消えるという儚さ、霧が立つ頃の薄明さ、また視界を朦朧とさせることなどから無常なものを思う悲哀の感情や恋の嘆きの歌となりました。

君が行く海辺の宿に霧立たば 吾が立ち嘆く息と知りませ

などは、霧を嘆息とみなしているのですね。人の死のはかなさを詠むものでは、有名な万葉歌人柿本人麻呂がすばらしい歌を残しています。

秋山の したへる妹 なよ竹の とをよる子らは いか様に 思ひ居れか 栲縄の 長き命を 露こそば 朝に置きて 夕へは 消ゆといへ 霧こそば 夕へに立ちて 朝は 失すといへ 梓弓 音聞く吾も おほに見し こと悔しきを 敷栲の 手枕まきて 剣太刀 身に添へ寝けむ 若草の その夫の子は 寂しみか 思ひて寝るらむ 悔しみか 思ひ恋ふらむ 時ならず 過ぎにし子らが 朝露のごと 夕霧のごと

 

今話した歌には、露という詞も入っていましたね。露はだいたい秋のものとされ、萩や菊に置く露が、はかなく消えやすいものなので恋の涙などの象徴とされてきました。

起きてゆく空も知られぬあけぐれに いづくの露のかかる袖なり

これは「源氏物語」の中で、源氏の正妻であった女三の宮とついに密通してしまった柏木の君の別れ際の歌です。重苦しい恋の感じがうたわれていますね。

 また源氏の最愛の妻紫の上の臨終の時にも、ふたりはこの世で最後の歌を交わしています。

おくと見るほどぞはかなきともすれば 風に乱るる萩のうは露

ややもせば消えをあらそふ露の世に 後れ先立つほど経ずもがな

 

さて、雪は水が美しく結晶したものですが、京の都や特に山里では寂しく生死にも関わる問題です。また雪は二つの異なる世界の境界だといわれていました。確かに見慣れている風景でも雪景色になるといつもと随分変わって見えますね。「源氏物語」でも雪は別離のシーンに多く使われています。例えば、源氏の妻紫の上に愛する我が子を託すことになった明石の上はこう詠みます。

雪ふかみみ山の道ははれずとも なほふみかよへあと絶えずして

そしてやはり明石の上との別れを嘆く乳母は、

雪まなきよしのの山をたづねても 心のかよふあと絶えめやは

と返歌します。

 しかし、春のはじめの歌には、雪を花と見立てているものも多いのです。

春立てば花とや見らむ白雪の かかれる枝に鶯の鳴く

雪の底に、花や春という新しい生命の力が生まれていることを知っていたのでしょうね。雪のことを風花と呼ぶくらいです。そして霞が立てば、もう春というわけですね。

 

このように、同じ水といっても、先人たちは様々な水の姿を見、その豊かな感受性で歌に詠み取ってきたのですね。どうですか、それでも水は何の特徴もないありふれた物質だと思いますか?こんなに色々に変化し、美しい姿を見せてくれる物質は他にはないのです。

 最後に、飛鳥時代の政治家高市皇子の歌を紹介します。彼は万葉集に3首の歌を残しましたが、3首とも最愛の人十市皇女の死を悼んだ歌です。彼は結ばれることのなかったこの恋人を水にたとえこう詠みました。

山吹の立ちよそひたる山清水 汲みに行かめど道の知らなく

                                           

 

 

参考文献

里中満智子 「天上の虹」 講談社 1986

鈴木日出男 「源氏物語歳時記」 筑摩書房 1989

大和和気 「あさきゆめみし」  講談社 1990

岩佐美代子 「木々の心 花の心 玉葉和歌集抄訳」 笠間書院 東京 1994

渡辺秀夫 「詩歌の森――日本語のイメージ」 大修館書店 東京 1995

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2.html

 

 


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