〜有り触れた物から有難いものへ〜

 

ある高校生がこう言っているのを聞きました。「水は無味、無臭、無色透明で、物理、化学的に特に注目すべき特徴もない。しかもこの地球上のどこにでもあるもっともありふれた物質だ」 この言葉を聞いて、多くの人は「たしかに。水なんて蛇口ひねればいくらでもでるし、川にも海にも水はある。地球上で一番のありふれた存在かもしれない」と思うことでしょう。 私も皆さんが言いたいことはよくわかります。砂漠地帯にでも行かない限り、水が無い!と感じることはまずないでしょう。私が気にかかったのは彼が使った「ありふれた」という言葉です。みなさんは「ありふれた」という言葉を聞いて、どういった印象を受けるでしょうか?皆さん日常生活でこの言葉を普通に使っているでしょう。たとえば誰かにプレゼントをあげようと、その中身を友人と話しているとき。「何かどこにでもあるありふれた物じゃなくて、特別なものをあげたいよね」こういった会話を一度は耳にした、あるいは実際に話したことは誰にでもあるでしょう。 そういったとき、皆さんはこの「ありふれた」という言葉をどういうニュアンスで使用しているでしょうか?「ありふれたような下らない物なんか大事な友人にあげたくない」といった否定的な思いが多少なりとも入っているのではないでしょうか? 私はこの言葉自体に、実際にそういった否定的な意味があるのか無いのか、辞書を引きました。そこでは“ありふれる:どこにでもある。めずらしくない”という意味が書かれていましたが、それが果たして必ず否定的なものであるかどうかは分かりませんでした。しかしその代わりに分かった事がひとつありました。それは「ありふれた」を感じで書くと、「有り触れた」と書くことです。たしかに水はみなさんが思うように私たちの身の回りを見渡せば、容易に見つけて、触れるくらい、有り、触れることができるものです。しかしそれははっきり言うと、「今のところは」とか、「私たち日本人にとっては」といったフレーズを付け加える方が正しいと言えるでしょう。

 

ではこれから、なぜ「今のところは」や、「私たち日本人にとっては」を付けなければならないのかお話したいと思います。

 

現在の世界の水資源

 

順番は前後しますが、さきに「私たち日本人にとっては」という文を付ける理由からお話したいと思います。先ほどの高校生の言葉では「水は地球上のどこにでもある」とありましたが、果たしてそうでしょうか?そうではないのです。水が「ありふれて」いないために命の危機に瀕している人も地球上には存在するのです。もっと正確に言うと、安全な水を確保できない人が数多く存在するのです。現在、世界では12億人以上が衛生的な飲料水を得る事が出来ず、下水道などの衛生設備の整備の遅れにより、その汚れた水が原因で、8秒に1人の子どもが死亡しているといいます。実際に、途上国における病気の原因の約80%は水の汚れであるといわれています。国別に見てみると、アンゴラやエチオピア、カンボジア等、7カ国の国民のうちのなんと60%〜79%が安全な水資源を獲得できない状況にあります。40%〜59%の人が利用できないのは23カ国、20%〜39%では31カ国にも達します。また、そのほかにも世界には水利権等が原因の紛争も数多く存在しますので、そこでの犠牲者も含めるともっと多くなる事でしょう。この統計から分かるように、水は多くの人にとって決して容易に手に入れることが出来るものでは無い事がお分かりいただけると思います。そのため、青く澄んだ有限で貴重な水資源は「ブルー・ダイヤモンド」とも呼ばれています。このように皆さんがあたりを見渡すと、一見水はありふれたものに感じられるかもしれませんが、地球規模の視点で水を見て頂くと、水が必ずしもありふれたものではない事が分かって頂けるかとおもいます。地球は「水の惑星」というイメージがありますが、その約97.5%は海水で、淡水の占める割合はたったの2.5%。しかも私たちが日常生活で利用できるのは、さらにその0.0003%に過ぎないのです。つまり、海などを見る事によって、見た感じではたくさんあるように見える水も、触れる事が出来る、つまり手に入れることが出来るかどうかといった視点でみると、皆さんが思うほど「有り触れて」はいないということが言えるでしょう。

 

今後の世界の水資源

 

では次に、「今のところは」という表現を私が加えたい理由を説明したいと思います。さっきまでのお話では、ひょっとすると「でもやっぱり私の周りには水はあるし、有り触れたものだ」と思う方がいらっしゃるかもしれません。しかし先ほどふれた国々の水不足は全く日本と関係が無いとは言い切れないのです。21世紀は水の世紀ともいわれ、水資源の枯渇や逼迫、人口爆発などにより、世界銀行の試算によると、2050年までには、または2025年とさえ言われるのですが、世界人口の40%がなんらかの形で水不足に直面し、5人に一人は深刻な水不足に苦しむことになると言われています。ここまで言っても、ひょっとするとまだ自分が実際に水不足によりいかに自分たちに影響があるかわからないかもしれません。実際に蛇口をひねれば簡単に水を手に入れることができる現在の日本においては、それも無理ないと思います。実際に、世界の40%が水不足になるといっても、これだけ水供給の整備が出来ている日本がその40%の中に入るかと言えば、そんな事は無いという見方の方が強いかもしれません。しかし水不足が影響するのは、たんに蛇口をひねれば出るような水だけの問題では決して無いことをみなさんにお伝えしなければならないのです。そこでまず、現在の水が世界でどのように使われているのか、世界銀行の統計をもとにお話したいと思います。高所得国、ここでは先進国と言っていいと思いますが、その国々の水の約40%は農業、45〜50%は工業に、残りが一般家庭に使われています。一方で、中東、北アフリカ、東、南アジア、太平洋諸国などでは、その70%から多くて約90%もの水が農業に使われており、これらの国の多くは10%にも満たない割合のみの水が一般家庭で使われています。つまり低所得の国では農業にもっとも水が費やされるのです。この状況の中で深刻な水不足が起これば、飲み水などの生活用の水の不足はもちろんのこと、農業用水への打撃も考慮に入れなければなりません。ここで考えなければならないのは日本の食糧自給能力です。食料自給率を熱量によって算出するカロリーベース法(供給熱量自給率)によって出された日本の2000年の自給率は40%。主食を支える米や麦などの穀物自給率においては(重量をもとにする重量ベース法で算出)28%という数字がでています。つまり日本の食のおおくが、外国からの農産品の輸入に頼っているのです。輸入先にはもちろんアジア諸国も含まれるのですが、このアジア諸国においても現在水不足は進行しています。中国を見てみると、現在の中国の中で安全な水資源の確保が出来ていないのは約20〜39%。しかし中国の人口は2050年には15億人弱まで達するといわれており、人口増加は水不足をもたらす大きな要因のひとつであるため、この中国がより深刻な水不足に陥る可能性は大いにあります。そうなると水の不足により農業生産も制限せざるを得なくなる事が考えられ、それは日本の食を支える輸入に大きな影響をもたらす事が考えられるのです。つまり水不足は単なる飲み水の不足にとどまるような問題ではなく、食料の確保の問題にまで大きな波紋が広がってしまうような深刻な問題なのです。以上のようなことから、私は「いまのところは」という表現が必要だと感じたのです。

 

終わりに

 

このように、「今のところ」、「私たち日本人にとっては」「ありふれた」ものだと言う見方をする方がいても仕方ないかもしれませんが、これはあくまでそういった限定された条件の下でのみいえる事で、実際に世界中のどこでも同じことが決して言えるわけでは無いと言うことが分かっていただけたでしょうか?水は世界の人々全員に取っての共通財産です。だからこそ、その存在を考えるときに、自分の身の回りや、現在の状況だけで考える事はできないのです。みなさんは日本人である前に、地球市民であるのです。同じ市民の中で水不足で苦しみ、命の危機に瀕している人がいる現状、そしてその数が増え、その範囲が広がる可能性をしっかり見つめてください。そうすればあの高校生の表現が適切か、また賛同しうるものか分かるはずです。

 

今回お話しするにあたって私が副題として“有り触れた物から有難い物へ”とつけた理由も、もうお分かりいただいたものと思います。ご存知の通り“有難い”という言葉は、そのものの貴重性からその重要性があるといった意味から発生したものですが、水の存在が稀になってはなりません。それはすなわち生命の存在が危うくなることだからです。しかしだからこそ水は“ありがたい”、つまり感謝の意を表すべき存在なのです。 

 

私は今回、水についてお話をすると決まったとき、最初に行った事は百科事典で「水」という言葉を調べました。そこでみつけた表現をご紹介して私の話を終わらせたいと思います。 “水は地球の誕生以来、一緒に46億年もの間生きてきた地球にとって重要なパートナーである”。水と地球のこんなにも長く深い関係を、新参者の人間は決して壊してはいけません。みなさん、自分が地球と水に大きな恩恵をうけ、生きさせてもらっているんだ、という事を決して忘れずに、現在の問題、そして予想されている今後の問題に対しても、なにか自分の出来る事からでかまいません、協力して行って欲しいと思います。

 

ご清聴ありがとうございました。

 

参考文献

 

「データブック・オブ・ザ・ワールド」 二宮書店 2000年

「情報・知識・imidas 2003」 集英社 2003年

「世界情報アトラス」 集英社 2003年

「世界大百科事典」 平凡社

「日本大百科事典」 小学館

 


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