「水:ありふれている希有な存在」

 

水なんて、蛇口を捻れば出てくるじゃないか。水なんて、ただ、在って然るべきと思っていた。高校生の私は水に対してそのような見解を持っていた。

 

「水なんて、どこがすごいの?」

 

そんな高校生であった私への講義を始めたいと思う。

 

あなたは、海に惹かれませんか?生命の生まれた場所である、あの青い海を見て、なぜかとても神秘的な、それでいて荘厳な何かを感じた経験があるのではないですか?地球の七割を覆う大洋。つまり、地球は水の惑星なのです。宇宙から見た地球を目にしたことがありますか?青い美しいサファイヤのような宇宙の宝石である地球。この、地球を宝石とならしめている「海」つまりは「水」。この存在は果たしてありふれた存在なのであろうか、考えていきましょう。

 

地球は太陽からの距離が、ちょうど水の三態すべての存在が可能な距離にあり、そのために水は液体として現在地球上に存在することが可能なっています。もし、金星ほど太陽に近ければ(地球より太陽に近ければ)、気温がはねあがり、水は気体としてしか存在できなかったであろうし、木星のように太陽から離れていれば(地球より太陽に近ければ)、気温が下がり、水は固体としてしか存在できなかったでしょう。この、気体、液体、固体すべての存在が可能な地球の位置、というのもまたものすごい確率の上で成り立っていることがわかります。

 

この、「液体としての水」というのが重要なのです。私たちは、普段当たり前のように水に砂糖を溶かしたり、塩を溶かしたり、と水にいろいろなものを溶かし込んでいます。しかしこの、当たり前のような現象も、改めて考えてみると不思議なものでありませんか。水の溶媒としての性質は果てしないものがあるのです。そのことは、精密機械の洗浄に水が使われる、ということからもわかります。この洗浄に使う水は「超純水:ハングリー・ウォーター」といって、どんなものでも溶質として溶かしてしまう、という極端な性質を持っています。この何でも溶かしてしまう水の性質こそが、地球を生命の住む惑星へと変えた鍵と言えるのです。

 

 水は、とにかく何でも溶かす性質を持っています。その特殊な特徴は、(よく海洋深層水はミネラルが豊富である、といいますが)海にはミネラルのようなイオン性物質だけではなく、蛋白質のもととなるアミノ酸や糖などの有機化合物、気体をも溶かしているのです。ではなぜ、何でも溶かす水の性質が生命を生み出すことにつながっていったのかを見ていきたいと思います。

 

約46億年前、原始の地球では何が起きていたというのでしょうか。まず34億年前に、原始大気中で大気成分からアミノ酸、糖(グルコース、リボース)、核酸塩基などの有機化合物が生成されました。これらが、何でも溶かしてしまう原始の海に溶け込んでいくこととなったのです。また、これらの有機化合物は、原始地球の環境(紫外線、火山、激しい雷雨、放電など)によって化学変化をおこし、さらに高分子なタンパク質、核酸、多糖類などを生み出し、やはり海に溶け込んでいったのでした。海に溶け込んだこれらの物質は、紫外線を通さない水の性質によって、紫外線からの分解を避けることができた、というのも大きな影響を持っているといえるでしょう。

 

こうして原始的海は有機物、無機物、さまざまなものを溶かし込んで蓄積していったのです。その中のタンパク質は、やがてコアセルベートという名の膜を作り出しました。現在の私たちの細胞膜は脂質から出来ていますが、最初に現れた生体膜は、このタンパク質からできたコアセルベートである、といえます。コアセルベートの出現によって金属イオンや、アミノ酸や、糖などの小分子が内側に取り込まれることとなりました。このコアセルベートという膜の内側と外側では濃度が違くなるのはわかると思いますが、何とコアセルベートの内側は外側よりも1000倍も濃度が高かったのです。外側より1000倍の濃度でコアセルベートの内側に蓄積された金属イオンや、アミノ酸、糖などは、やがて合成、変換、分解反応をおこす、物質代謝を始めていきます。これが生命体の始まり、といえるでしょう 。 

 

以上のように、私たち生命体は、海の中で生まれたわけなのです。そこにあるのは、水の特殊な性質のおかげだと言うことが理解できたでしょうか。

 

私たちの身体は70%が水で出来ています。このうち2%を失うと喉が渇き、5%を失うと幻覚を見ます。12%失うと死に至ります。そう、我々の中の水の比率は、

 

地球の比率と一緒なのです。不思議さを感じないでしょうか。

 

確かに、一見すると、水はありふれたものであり、何の変哲も無いもののようにも思えてしまいます。しかし、一歩引いて客観的に考えてください。果たして水はありふれたものでしょうか。何の変哲も無いものでしょうか。

 

水がありふれているのは、ここ日本特有の気候、地形によるものであることを忘れてはならないでしょう。山地の多い地形であり、降水量の多い日本は地下水が多く、人が使える水=淡水が豊富です。しかしそれは、全世界を考慮するグローバルな視点で考えてみると、水はありふれたものである、という潜入意識はなくなるでしょう。水=淡水は、石油や、鉄鋼などと同じく、「資源」なのです。幾度と無く繰り広げられた紛争の原因が「水資源をめぐって」であることは、驚くほど多いのです。

 

水は、変哲も無いものでしょうか。先にも述べましたが、水なしには生命の誕生はありえなかったのです。重力に逆らえるのは、水だけです。木などの道管中を毛細血管現象によって、まるで生きているかのように重力に逆らって上昇できる液体は水だけです。固体が液体に浮くのも水だけです。この性質のおかげで、北極海や南極の氷は海上に浮いていることが出来るのです。

 

水がいかに希有な存在か、ということを理解していただけたでしょうか。私たちは水から生まれ、その水によって体を作られ、水を失っていくことで老い、死にます。水が希有な存在ならば、生命というものもまた、その生は奇跡的なものであると思います。

この地球の水の総量は13億5600万Km3 であり、その中身は地球が出来てからほとんど変化していないのです。蒸発し、漂い、雨として降り、地下に染み、川となり、海となり、また蒸発し、といったサイクルを何億年も繰り返してきたのです。このサイクルの途中の過程が、私たち人間によって汚染され、破壊されるようになりました。排水、河川の汚染、森林伐採による地下水の量の減少、、、。サイクルを汚染すれば、その汚染されたものが我々にそのまま帰ってくることになるばかりか、我々の子孫にまでも影響を及ぼすこととなることは言うまでもないことです。

 

今、我々の母であり、分身である海は悲鳴を上げています。我々にできることとは一体何なのでしょう。水という奇跡をもういちど改めて認識し直して、大きな視点を持って地球という、青い宝石を守るために、まず自分が出来ることから始めていく、ということではないでしょうか。

 


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