人は水

 

  さて、この前の授業では、環境問題と水についてお話ししましたね。授業の後に、皆さんに感想を書いてもらったのですが、その中で、こんな感想を書いてくれた人がいました。「水は無味無臭無色透明で物理化学的に特に注目するところも無い。しかも、この地球上のどこにでもある最もありふれた物質だ。」私はこの考えを、決して間違っているとは思いません。しかし、水に対してもっと違う考え方もできること、そしてこの考えにいったい何が不足しているのかを考えて、皆さんに興味を持って水について理解を深めてもらいたい。そこで今日は皆さんに、水の科学的な面を紹介しようと思います。水に関するいろいろな不思議を知ってもらうことで、皆さんと水の在り方が、今までと少し変わるかもしれませんよ。

  それでは最初に、「水が無味無臭無色透明だ。」というところから見ていきましょうか。まず、今日は科学的な視点で水を見てみようということなので、無味無臭、無色透明を並べて考えるのはやめましょう。無味無臭、という表現は、私たちが人間の感覚としてそういうふうに感じるだけのことであって、科学的な表現とは言いにくい。それに対して「無色透明」というのはある程度物理化学的な水の特性といえますね。自分が感じること、は科学的な水の特性とはまた別な角度からの議論になってしまいます。今日はこの二つを切り離して考えていきましょう。さて、さっき、「水の特性」というふうに言ったのですが、皆さんは、水の特性、ここでは、「水の物理化学的に注目すべきところ」を何か知っていますか?実は水は大変ユニークな性質を持っているといえるのです。

水という物質は、いったいどんなものなのでしょう。ちょっと化学の授業を思い出して話を聞いてくださいね。まず、ひとつの酸素原子Oと、二つの水素原子Hが結合して、水の分子H2Oができます。O原子とH原子は互いの電子を共有し合うやり方(共有結合)により結合していますが、両者の電子をひきつけあう度合い(電気陰性度)が異なるため、電子はよりO原子の側に偏っています。さらに分子の形が左右対称ではなく開いたV字型をしています。そうですね、ミッキーマウスの顔の形を思い浮かべてもらいましょうか。丸い顔の部分はO原子、二つの耳はH原子と考えてもらうと水の形がわかりやすいでしょう。そして一個の水分子のO原子側が負の、H原子側が正の電化を持っています。このような分子を「極性分子」といいます。簡単に言うと、「引き寄せられやすさ」ということです。この極性を持っているために、水はイオン性物質を溶かしやすく、そのために水は様々な化学反応の場を提供し、物質移動の媒体としても働いている、といえます。また、ちょうど今日は良い例がありました。今日の天気はどうですか?そうです、雪が降っています。雪、つまり、固体になっていますよね。皆さんもうおわかりだと思いますが、「水」という物質は、この地球の気温の変化内で、気体・液体・固体に三態変化します。簡単に言えば、水蒸気・水・氷に変化するということですね。そんなことあたりまえ、と思うかもしれませんが、このことも立派に水の注目すべきところといえます。こうして水が形を変えていることは、たとえば天気が変化することを考えても、地球の環境に様々な変化をもたらしているということです。そして、水は比熱が大きいというのも大事なところです。比熱とは、ある物質1グラムの温度を摂氏1度だけ高めるのに要する熱量のことで、 気体を除いた全物質中で、水の比熱が最も大きい。言い換えれば、水は温まりにくくてさめにくいということです。そのため、海は地球の温度を一定に保つ役目を果たしています。また、海流は熱の移動の媒体として大きな役目を果たしています。水蒸気はどうでしょう。水が蒸発して水蒸気になるとき、熱を必要とします。このとき必要な 熱を気化熱と呼びます。水はこの気化熱が大きいので、水蒸気は大きな潜熱を持ち、水蒸気を含む地球の大気も熱の移動の媒体として大きな役目を果たしているのです。少し話が難しくなりましたが、水の特性が地球の特質とも言えることに気づいて貰えたでしょうか?それでは、なぜ地球には「水」が多いのでしょうか?

「水はこの地球上にありふれた物質である。」こんなふうに感じてしまうのも無理はありません。それくらい、私たちの周りにはたくさんの水が存在しているということです。しかし、それがなぜかと考えたことはありますか?私たちの目から見れば、地球の環境はそれほど特異なものとは思えませんが、宇宙的な尺度を当てはめてみると、その特殊性が良くわかります。ためしに、地球の両隣にある天体、金星・火星と地球を比較してみましょう。金星と火星は大きさや太陽からの距離や形成過程など、地球と大変よく似た惑星です。しかし、その環境は地球とは全く異なり、大気の大部分は二酸化炭素で、大気圧は金星が90気圧、地球が1気圧、火星が0.07気圧と、ほぼ2桁ずつ違っています。地表の温度は大気中の二酸化炭素の量に関係するので、金星では400度をこえ、反対に火星ではマイナス20度という低い数値になっています。皆さん、400度という気温は想像できますか?灼熱の世界ですね。それでは、地球とこれら二つの惑星との差は、どうして生まれたのでしょう?その答えは、地球が海を持っているからなのです。地球の表面の約70%は海に覆われています。このため、大気中の二酸化炭素は海底に溶け込んで、カルシウムやマグネシウムなどの陽イオンと反応して炭酸塩をつくり、海底に沈殿します。その結果、大気中にあった二酸化炭素は岩石中に固定されてしまうのです。要するに、地球環境の特殊性とは、海を持つことなのです。逆に、それではどうして他の惑星が海を持たないのかを考えましょう。

金星は非常に地球とよく似た惑星であるのに、その大気や地表にはほとんど水が存在しません。いったい何がその明暗を分けたのでしょう?結論から言ってしまえば、それは太陽からの距離だといえます。金星で海ができたかどうかは、実は今でも答えが出ていません。金星は、とても微妙なところに位置しているといえるのです。では、もし金星に海ができなかったとしたらどうでしょう。原始大気の主成分である水蒸気は、太陽からの紫外線によって、酸素と水素に分解されてしまいます。こうして大気中の水蒸気は凝結することなく、10億年も経たないうちに大気から失われてしまいます。金星には過去、水が多量に存在していたことがわかっています。今度は金星に海があったと考えてみましょう。海が存在した場合、金星にも地球と同様に大陸地殻が作られた可能性があります。大気中の二酸化炭素はこの大陸地殻を風化して、炭酸塩として海底に沈殿するでしょう。しかし、100度を超える地表温度のために、非常に激しい風化作用だったと考えられます。そのために大気中の二酸化炭素はほとんど全部地表面の風化に使われてしまった、そして、結局大気中の水蒸気は水素と酸素に光分解されて、だんだんと失われていくのです。水の存在なしには二酸化炭素は炭酸塩になれないので、大気の主成分としてそのまま現在に至ることになります。いずれにしても、金星と地球を分けたものは、太陽からの距離のわずかな違いなのです。金星は太陽に近すぎたために、海が形成されなかったか、あるいは形成されても数億年のうちに水蒸気を全て失ってしまったというわけなのです。

火星はどうでしょう?火星では、水や二酸化炭素は凍って存在していると考えられます。氷とドライアイスの世界、を考えてください。火星も地球とよく似た星ではありますが、そのサイズが小さい(地球の約半分)ために、地表面が解けるほど温度が上がらないという問題があります。そのために、原始大気に含まれる水蒸気や二酸化炭素は、すぐに凝結してしまう。つまり、火星はその地表を絶えず海または氷河に覆われながら成長することになるのです。もしも火星が地球サイズであったとした場合、大気中の二酸化炭素は地球に比べて大きい値に落ち着くとしても、温暖な気候が維持されるでしょう。火星が地球になれなかったのは、太陽から遠すぎたためではなくて、そのサイズが小さすぎたためだといえるのです。

これらのことから、次のように考えることもできます。地球サイズの惑星が、太陽からある範囲の領域で形成されたとしたら、その惑星は海をもち温暖な気候を維持する。そしてその惑星には、地球と同じように生命が誕生する可能性が高い。こんなふうに考えると、地球が海を持つ水惑星になったことは、奇跡というよりはむしろ必然的でもあります。

こうして水惑星となった地球は、他の惑星と何が変わったでしょうか?そう、生命の誕生です。地球上に存在する生物の細胞は主としてタンパク質、核酸、脂質、糖質から成り立っており、この他のいろいろな種類の分子やイオンも含め、生命体は様々な元素から構成されているということがわかります。生命におけるこのような元素の組成比は海水のものとよく似ており、生命体は海で誕生したと多くの研究者は考えています。原始生命体が誕生するときは海の中に存在した元素が利用されたとも考えています。藻類や他の緑色植物、動物では脊椎動物を含めて、現在見られる全ての多様な生物群が、水中で分化してきました。生命誕生の起源は未だに不明ではありますが、現在考えられている有力説は、熱水の噴出口です。今でも存在している中央海嶺と呼ばれるマグマの活動の激しいところでは、多様な成分が溶けこんだ熱水が噴出を続けています。そのような環境は、過酷ですが、特殊な成分の濃集や、激しい化学変化やおこっています。ですから、多くの科学者は、生命の誕生の場が、深海の熱水噴出口ではないかと考えています。その有力な証拠として、35億年前の化石が見つかった環境が、地質学的調査から、海嶺の熱水噴出口だったとされています。また、原始地球の表面は冷めたとしても、内部はまだ熱ければ、火山活動が激しかったと考えられます。となれば、熱水噴出口も地球の各地にあったと考えられます。そこでは、生命の合成実験が日夜繰りかえされていたのです。そして、少なくともその一つは成功して、それが、私たち生命の祖先となったのです。水が様々な化学変化の場となっている、というひとつの特性は、私たち生命の起源にも大きくかかわっているのです。

それでは、なぜそんなにも生物と水とのかかわりが深いのに、わざわざ生物は陸上に住んでいるのでしょうか?ここでは植物を例にとって考えてみましょう。それは、酸素を発生して光合成をする生物には、広大な陸上は太陽エネルギーを効率よく受け止めることのできる願ってもみない生活場所だからです。もちろんこのことには、地球の環境変化が大きくかかわっています。酸素発生型光合成をする生物の進化の結果、地球には酸素が蓄積され、それらの藻類の優性によって、ますます酸素が増大し、オゾン層を作った。オゾン層の形成の結果放射線など、生物に障害を与えるような光線が地球表層に達するのを防ぐことになったのです。こうして、生物の陸上での熾烈な水確保の生き残りの歴史がみられることになります。藻類の段階であった植物が、陸上に進出する際に見られた最も顕著な現象は、維管束の形成です。今度は生物の授業を思い出してもらいましょうか。維管束には木部と師部があり、木部は水や養分の通り道となり、師部は合成された貯蔵物質などの通り道となっていることを覚えていますか?水中と違って、空気中には水分が乏しいので、植物体の体表から満遍なく水分を吸収することはできません。そこで、地中に接している部分から、地中の水分を吸収し、水分を必要としている植物体に移動させる必要があります。その通路として、維管束という存在が発達するのは、地上で生き残るために不可欠の条件だったのです。また、表皮組織が発達して、水分の植物体内での保存と調節が効率的に維持されることになりました。こうして陸上に定着した植物を、動物が見過ごすはずがありません。というよりも、植物が陸上に進出することで、動物が生きる多様な生活環境と資源が提供され、その場所を活用する形で動物の陸上への進出が始まったと考えてよいでしょう。現在陸上に生活している私たち人間も、自分たちの生活に必要な水の確保のために様々な工夫をしてきました。古くは井戸や灌漑に始まり、安定した水量の確保のためにダムも建設しました。安全な飲み水のために水質処理場もつくりました。現在では、その処理された水道水も飲むことをせず、ペットボトルに入れられた飲み水を重宝している人々も多くいます。

なぜ、水は特に特徴もなくてありふれていると感じるのでしょうか。それは、人は水だからです。これは、単に人体のおよそ7割が水で構成されているという意味ではありません。人は、いわば水そのものであるからこそ、水を無味無臭に感じ、無色透明に見え、物理化学的に特に注目する必要もなく、さらに、水は地球上のどこに出のある最もありふれた物質でなければならないのです。私たちが理解すべきことは、「特異的であるはずの水を特異的と感じないということはつまり、私たち自体が特異的な存在だからである」からなのです。このことが理解できれば、いかに特異であっても、ありふれていることのかけがえなさ、元来どれほど多様な特質を持っていようが、注目すべき特徴のないことの大切さを見つめることができます。「水」に向けられる視線もおのずから深いものになるのではないでしょうか。

私たち人間も含めた、現在地球に存在している生物の起源は、たどってみれば「水」にあります。しかし、地球型生命は水を基盤に生まれ構成されているけれど、他の可能性も全く考えられないわけではありません。「水でなければならないのか」という課題には、答えがありません。水に生まれなかったならばいったい私たちはどのように存在するのか、この質問は、皆さんの「水」に対する考えをいっそう深くするものとして、さまざまな機会にちょっと思い出してみて下さいね。

 

参考

 松井孝典 「地球=誕生と進化の謎 最新地球学入門」 (凸版印刷 1990年)

 岩槻邦男 「進化−宇宙の始まりから人の繁栄まで−」 (研成社 2000年)

 

 


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