水は「ありふれた」物質ですか?

〜A君と水博士の対話より〜

061413 奥原枝里

 

<日本人高校生のA君が水博士(自称)に質問をしました。>

 

A君:「博士は、水についていろいろ知っているようですが、“水”って研究対象としてそんなに面白いものなんですか?」

博士:「勿論だとも。人間にとって、いや生命にとって“水”ほど不思議で、特別な物質は他に無いじゃろうな。」

A君:「そうかなぁ。」

博士:「では、君は“水”というとまず何をイメージするかね?」

A君:「やっぱり毎日見ている水道水でしょうか。あとは海、とか。」

博士:「現代人はイメージが貧困でいかんなぁ。昔の日本人は、もっと水を特別な物と考えていたものだが。よし、それではまず、古くからの日本文化と水について少しだけ話そう。君は鴨長明の『方丈記』を知っているかね?」

A君:「『ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。』っていう。」

博士:「そうじゃ。その後は、『淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例しなし。世中(よのなか)にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。』と続く。“うたかた”とは泡のこと。常に変化してとどまることのない河の流れを人生に見立てて、当時の日本人の人生観である、無常観というものを表しているのだ。“水”が古来、日本人のものの考え方に深く関係していたという事を示す良い例だと思わんかね?」

A君:「なるほど。僕たち日本人の考え方の根本には、水の流動性が関係していたんですね。」

博士:「それだけではないぞ。古来より日本人は、“水”を神聖なものとして扱ってきたのじゃ。日本で今でも行われている伝統行事に、その例を見ることが出来る。

禊ぎ身に罪または穢れのある時、重大な神事などに従う前に、川や海で身を清めること。今でも神社で手や口をすすぐことがある。

お水取り3月(旧暦の2月)に東大寺二月堂で深夜、堂の傍の井戸から水をくみ取り、加持し、香水(そのくみ取った水をそう呼ぶ)とする。練行僧が修行にはいる前の儀式。

川浸り朔日旧暦12月1日、川を祭り、水の神を祭る日である。川に尻を漬けて潔斎し、あるいは川に餅を投げて水神を祭る。

土用の丑の日 この日に水浴びをすると一年中風邪を引かないといわれている。水浴をしたり、河で禊ぎをしたりする風習が全国的に広く行われている。 

これはほんの一例だが、この表を見ると、昔の人々は水には穢れを祓い身を清める力があると信じてきたことが分かるじゃろう。」

A君:「水は不思議な力を持った神秘的な存在だったんですね。」

博士:「そしてさらに、日本人は“水”を通じて四季の移り変りを感じてきたのじゃ。たとえば日本独自の文化である俳句の中に読まれる季語に注目してみると、人々が、固体、液体、気体とさまざまに形を変えるモ水モに関する語を、じつにさまざまな呼び名で呼んだことがわかるじゃろう。先人のモ水モに関する現象への観察力と表現力には敬服するばかりじゃ。春の季語には、残雪、雪解け、水温む(みずぬるむ)、淡雪、霞(かすみ)、春雨などがある。夏の季語は、入梅、梅雨、五月雨(さみだれ)、夕立、虹、清水、滝、土用波など。秋には、霧、露、落とし水、高潮。冬には時雨(しぐれ)、霰(あられ)、霙(みぞれ)、霧氷、霜柱、初雪、吹雪、水涸る(みずかる)、初氷、氷柱(つらら)、氷海などの季語がある。」

A君:「どれも美しい雰囲気を持った言葉だと思います。昔の人々は水が起こす自然現象に凄く敏感だったんですね。」

博士:「うむ。日本人の意識の中で、“水”とは神聖で、清く、美しく、そして不思議な存在だった。決して蛇口をひねれば出てくるようなものでは無かったのじゃ。そのことを現代人が忘れがちなのは、哀しいことじゃな。」

A君:「しかし博士、水が僕たちにとって特別な意味を持つものだということは分かりましたが、化学的に見ても特別なのでしょうか?特に変わった特徴があるようには見えないんですけど。」

博士:「とんでもないぞ。“水”は他の物質にはない、極めて特殊な性質を持っているのじゃ。では、“水”の化学的性質について、ごく簡単に話そう。まず、水が他の物質と異なるもっとも重要な特性は、水は固体の方が液体よりも密度が小さいということ。つまり、氷が水に浮く、ということじゃ。氷の密度は0℃で0.9168g/cm_だが、この氷が溶けて水になると、密度は0.9998g/cm_まで大きくなり、10%近く体積が小さくなる。そして3.98℃で最大密度0.999972g/cm_になるのじゃ。」

A君:「確かに、言われてみれば氷は水に浮きますね。でもそれはなんとなく当たり前の現象で、凄いことだなんて考えていませんでした。氷が水に浮くというのはそんなに重要なことなんでしょうか。」

博士:「当たり前じゃ。もしも氷が約4℃の水よりも重ければ、湖や池、海の水は、凍り出すごとに沈んでゆき、最後には底から全部が凍結してしまい、水中の生物は生きてゆけない。『水は固体の方が液体より密度が小さい。』この性質があるからこそ、湖は湖であり、海は海であり、地球上の生命が生きてゆけるのじゃ。」

A君:「水の密度の特殊性にそんな意味があったなんて、驚きです。」

博士:「さらにつぎなる水の特殊な性質は、その恐るべき溶解力じゃ。水ほどいろいろな物を溶かす能力を持った物質は自然界には他にない。1リットルの水は、なんとその8倍の量の物質を溶かすことができるのじゃ。」

A君:「それはすごいですね。この水の性質も、やっぱり僕たちにとって重要なんでしょうか?」

博士:「勿論じゃ。君も知っているとおり、人間の体の70%は水で出来ている。水は血液などの姿でさまざまな物質を溶かし込んで、全身に巡らせている。水は体内の各細胞に栄養分と酸素を渡す一方で、老廃物や二酸化炭素を回収する。このあらゆる物を溶かし込む水の性質のおかげで、我々人間をはじめとする生物は生きてゆけるというわけじゃ。そしてさらに地球規模で見ると、この水の溶解力無くして地球に生命は生まれなかったことになる。」

A君:「どういうことですか?」

博士:「原始地球の海は淡水だったのじゃ。地表に降り注ぐ雨が、大気中の塩素と陸地のナトリウムを溶かし込んで運び込み、塩分の濃度の高い海ができあがったのじゃ。生命の誕生には、この海中のナトリウムが不可欠だったから、もし水に高い溶解力が無ければ、生命は誕生し得なかったと言えるのではないかな。」

A君:「水に溶解力がなかったら、世界は一変してしまうと言うことですね。凄いなぁ。」

博士:「水の特異な性質はまだある。君はガラスのコップや窓に水滴がついているのを見たことがあるだろう。水は、玉になりやすい物質なのじゃ。」

A君:「表面張力というやつですね。」

博士:「そのとおり。表面張力とは、水の表面が自ら収縮して、出来るだけ表面積を小さくしようとする力のことじゃ。水は分子間力(分子同士が引き合う力)が大きいため、他の物質、たとえばエタノールやベンゼンに比べて表面張力が非常に大きいのじゃ。そしてこの表面張力は、毛細管現象という現象に深く関わっている。」

A君:「タオルの先を水につけておくと、水が全体に行き渡って、タオルがびしょびしょになってしまうっていうやつですね。」

博士:「そうじゃ。細い筒や繊維を伝って水が伝わっていく現象、その毛細管現象が、土中の水の移動、植物の生きるための仕組み、動物の血流などに無くてはならないものなのじゃ。もしこの毛細管現象がなかったらどうなると思うかね。地表に降った雨は重力でどんどんと地下に浸透してゆき、大地には潤いが無くなってしまうだろう。また、植物は根から養分のとけ込んだ水を、幹を伝って高い所にある自らの葉に運ぶことも出来ないだろう。動物は、身体の末端まで血液や体液を行き渡らせることが出来なくなってしまう。」

A君:「想像するだけで恐ろしいですね。密度に、溶解力に、表面張力。もちろんまだ得意な性質はあるのでしょうが、これだけでも水が特別な物質だといういうことがよく分かりました。」

博士:「水がこれらの性質を持っていたからこそ、地球は今の地球の姿を持ち、我々は生きていられるのだという事じゃな。」

A君:「はい。そのような水が地球上にたくさんあったということはとてもラッキーなことですよね。地球は水の惑星と呼ばれるぐらいですから。宇宙の中で、水があるのは地球だけだということですよね?」

博士:「いや、その言い方には多少訂正が必要じゃ。それでは最後に、宇宙と水の関係について話すとしよう。君の言うように、地球は水の惑星と言われているが、それは、水がモ液体モの状態で存在する星は、宇宙広しといえども地球しかないからなのじゃ。気体、固体の水が存在する星はあるが、表面が液体の水で覆われている星は地球だけ。そしてそれが地球に生命が誕生した理由なのじゃな。」

A君:「なるほど。では、他の惑星にも、水が在ることは在る、ということなんですね。」

博士:「そうじゃ。しかしそれは気体や固体の状態であったり、それすらもだんだん減ってついにはなくなってしまっていたりする。そもそも太陽系の惑星は、今からおよそ46億年前、さまざまなガスが集まって太陽が作られるときに、ほぼ同じ材料から作られたと考えられている。その中でも水星、金星、地球、火星の地球型惑星は、二酸化炭素・水蒸気・窒素のような成分が主体となっていたと考えられている。つまり、これらの惑星は、出来たときには、地球と同じようにかなりの水がその表面にあったことになるのじゃ。しかし、現在それら地球型惑星の中で、表面に液体の水が見られるのは地球だけ。それは何故か。地球は、太陽からの距離と、惑星の大きさという、液体の水が表面に安定して存在するための2つの条件を満たしているからなのじゃ。」

A君:「火星は太陽から遠すぎて、表面の温度が低いために水は固体になってしまうし、金星では太陽に近すぎて、表面の温度が高いために水は気体になってしまう、ということですね。でも、惑星の重さというのはいったい…」

博士:「ふむ、まず金星の場合だが、金星は大きさの面では地球とよく似ている。直径は地球の95%で、質量は80%じゃ。したがって君の言ったとおり水は水蒸気として存在した。しかし、水蒸気というのは温室効果が大きいため、表面が高温に保たれてしまい、やがて水は太陽の紫外線で分解されてどんどん減ってしまうのじゃ。分解の結果生じた水素は軽い気体なために宇宙空間に逃げてしまい、酸素は硫黄や岩石の酸化に使われてしまった。現在金星の大気は二酸化炭素が主で、表面は乾ききっている。そして火星の場合は、質量が小さいために、表面の重力で大気や水をつなぎ止めておくことが出来ず、宇宙空間に逃げていってしまう。そのために現在の火星の大気は非常に希薄なのじゃ。かつてはたくさんの水があったと考えられている火星だが、現在は表面の岩石の下に、永久凍土として氷が残っている可能性があるのみなのじゃ。」

A君:「こうやって見てみると、地球に固体・液体・気体の三態の水が存在しているということは、まさに奇跡的なことだったんですね。僕たちの周りにある水が、凄く不思議なものであるように見えてきました。」

博士:「モ水モは地球が宇宙から賜ったものだということを理解できたかな。私はこのことに深い感動を覚えたのじゃ。古来人間は本能で水を求めるだけでなく、その感性や知性をもって水を追い求め、やがて科学をもって追い求めるようになった。水の不思議さは、これからも人間を魅了し続けるのだろう。」

 

*この対話において、A君は授業を受ける前の私の率直な疑問や感想を述べる役割をしています。また博士には、授業を終えての私の考えや感想を述べる役割を果たしてもらいました。

 

参考文献:水の話 http://www.con-pro.net/readings/water/


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