宇宙に浮かぶ宝石

061237 小泉元宏

 

これは地球上の水、自然界における水の分布量を塩水=海水、淡水に分けて示したものです。基本的に私たちが利用することのできる水は淡水だということ、それからその中でもさらに利用できる水量が限られていることに注目してください。このように見ると全体の水の総量の0.014%しか、利用可能な水がないことがわかりますね。これは一年当たりに直すと約20兆tの量ということになります。みなさんの中にはこれを聞いて「なんだ、たったのこれだけといっても20兆トンもあるのか」と思った人もいるでしょう。確かに家庭の水道から流れる水の量から想像すると年間20兆トンというのは莫大な量のようにも見えます。しかし、われわれが日常生活で使っている水というのは目に見える水、例えば水道から出てくる水だけではないのです。われわれが生きるためには、実に多くの見える水、見えない水が必要とされます。たとえば私たち日本人が使う水の量は一日当たり29000000000000リットルです。一人当たりで約2530リットルにもなります。しかもみなさん聞いたことがあるかもしれませんが実はいま、われわれの世界の人口は増加し続けており、この水資源の利用の限界が近づきつつあるのです。

 

ではさらに次の図に目を移してみましょう。水が私たちの知らないところでも動いていること、そして水が実は大きな、大きな自然の循環の環の中で廻っていることがわかりますか。わたしたちの「身近にある」水というのはこのように地球全体を舞台にした大きなめぐりのなかにあるものなのですね。

 

 ここで水について大切なことが二つ、わかりました。それは、

 

@水とは限られた資源であること。水は果てしなくあるものではなく、限りある資源だということ。

 

A水は自然の中の大循環の中にあること。

 

ということです。このことは、後で述べる、水と私たちとの係わり合いの中でも大切なこととなるので、よく覚えておいてください。

 

水の特徴 〜その特異さについて〜

 

H2O。水の化学式です。みなさんも一度は耳にしたことがあると思います。しかし、水の性質についてみなさんはどのようなことを知っているでしょう。

実は水はさまざまな物質の中でもその特異さが際立つ物質なのです。なぜなのか、例をあげてみましょう。

 

@水は独特の構造で結合していること、そのために他の物質とは違う(水=液体が、氷=固体に浮くというような)性質を持っていること。通常の物質と違い、液体から固体になると密度が小さくなるためにこのような“異常”が起こります。このような性質が無ければ厳寒の海に魚などの生物は生きられません。(水は氷になると体積を増やす)

A水のあらゆる物質を取り込もうとする性質。そのために海には多くの物質が取り込まれていますし、また生物もこの性質のために生きられるのです。(例、血など、体液)(水は他の物質を溶かしやすい)

B水の熱を蓄積する性質。温まりにくく冷めにくい性質です。この性質によって地球の気温は安定することができるため、もしも水にこの性質がなければ、地上の気候は今とはまったく違う様子を呈していたでしょう。(水は比熱が高い)

C水分子の互いに引き合う力、表面張力。あるいは他の物質にもしがみつこうとする性質です。この性質が私たちの体や木などの隅々にまで栄養を行き渡らせている、といわれます。

D水の沸点が高いこと。実は常温で液体である物質というのは当たり前のことではないのです。氷や水蒸気ではなく水の形で存在できたことが地球の三分の二を覆う海が存在できた理由なのです。(水の沸点は異常に高い)

 

このほかにも水の蒸発しにくい性質や、氷に圧力をかけると融点が下がることなど、水の特異性を示すことはたくさんあるのです。そして、実は、このような水の変わった性質こそが私たち生物を生かしているということを忘れるわけにはいきません。

例えば@の水が氷になると体積を増す性質について考えてみましょう。この氷が水に浮くという性質がなく、南極の氷や氷山、流氷などがすべて沈んでいたら、海面の水位が上昇、あるいは下から氷が水を凍らせてしまい生物は死滅していたと言われています。このように、水は変わった性質を持つとともに、その変わった性質こそが私たちを育んでいる、というのが事実なのです。

 

水でできている私たち

 

約70%。みなさんこれが何を示す数字かわかりますか。実はこの数字、私たち人間の体内の水分の量なのです。想像してみてください。私たちの体の70%は自ら成っているのです。驚くべき数字だと思いませんか。

そしてまた、実に多くの生物が同じように、多くの水分から成っています。例えばトマトの90%は水ですし、クラゲなどにいたっては96%までが水です。これだけでも十分に私たちにとっての水の重要性は認識できることと思うのですが、さらにいくつかの事例を見てみましょう。

 

「年をとるとは、水を失うこと」

私たちは生まれたとき、あるいは母親の胎内にいるときから、徐々に水分を失っています。生まれ出たばかりの赤ちゃんは80%が水でできているのに対し、60歳過ぎにもなると60%弱の水分しか体内になくなります。確かに、赤ちゃんはみずみずしく柔らかなのに対し、お年よりはかさかさと硬い肌になりますね。これは、まさに水を失っているということなのです。

「水を失うと、生き物は生きていけない」

私たち生き物は水を失うと生き続けることができません。例えば人間は、5%の水を失うと幻覚を起こし、12%の水を失うと死に至ります。われわれにとって水を得ることはまさにライフラインを維持することなのです。

これらの例からもいかに私たちにとって水が重要なものなのかということがわかりますね。私たちはまさに、水でできており、水がないと生きていけないのです。

 

水と生命の誕生

 

 これまで私たちにとって水がいかにかけがえのないものかということについて考えてきましたが、実は私たち生物の誕生自体にも、水が非常に深く関わっているのです。

水は酸素と水素からなっていますがそもそも、これら酸素や水素ははるか百億年単位の昔の宇宙において、核融合反応による超高温状態の中で生み出されました。そしてその後形作られたH2Oは、45億年前ともいわれる地球の誕生の後原始の地球の上でさまざまプロセスを経て海(原始の海)を形成しました。

 

このように海(液体の水)を長い間保てたのは、太陽系で地球だけです。それは地球が、@太陽からちょうどよい距離にあったこと(他の惑星では液体状態を保てず氷か水蒸気になってしまうのです)A水を引きとめられる引力があったこと、つまりほどよいサイズの大きさがあったこと、によるものとされています。つまり、われわれの地球の海は、非常に微妙なバランスのもとにできたものなのです。

 

そしてその後、序々に組成を変えた海は、ついに34億年前、原始的な生物を生み出し、その後ラン藻類が出現、さらに20億年前、光合成によって酸素がつくられ始め、それが海水にたまり、さらには大気中にたまって、現在のような酸素の多い大気になっていきました。そして4億5千年前に魚類、4億年前に陸上動物が出現しています。

 

つまり、太古の海によって私たちは生み出されたのであり、水こそが生命の母胎といえるのです。

 

ところでこのような地球の歴史と比べて、私たち人類がどれだけの時間を生きてきたか考えてみてください。われわれが生まれたのは今から200万年前ですから、実に人類は地球の2000000/4600000000=1/2300の歴史しか持たないのです。人類の誕生は、地球の誕生を一年の始まりの1月1日とし、現在を12月31日の24:00と見立てた「地球カレンダー」を作ったとすると実に12月31日大晦日の、しかも夜の出来事となってしまうのです。どれだけ私たち人類の歴史が、地球の歴史と比べて短いか、よくわかるでしょう。

しかしながら、実際には、私たち人類はこの短い歴史、しかも特にそのほんの最後のほう(近代化以降の時代)で地球を変えてしまうような力を持ち、実際にその力を濫用して母なる地球の環境を自らの手で壊し始めているのです。  果たして私たちはどうのように、そしてなぜ地球を壊し始めているのでしょう。そのことについて引き続き述べていきましょう。

 

美しい水、おいしい水

 

 本来、純粋な水H2Oは無味、無臭で、色も無い透明色です。しかしながら実際には私たちの周りにある水で純粋な水、「純水」というのはほとんどまったくといっていいほどありません。それは先ほど述べたように、水にはほかの物質を取り込む、という性質があることが大きく関わっています。その性質により、水にはさまざまな物質、例えば鉱物などが含まれているのです。硬水、軟水という言葉を聴いたことがありますか?これは、水に含まれているミネラル成分によって水を分けたものです。ミネラルウォーターなどによく記載されていますね。

また、私たちの一番身近な水のひとつに水道水が挙げられるでしょう。この水道水もさまざまな物質を含んだ水なのです。では、この水道水と先ほど述べた、人類の環境破壊に焦点を当て、話を進めていきたいと思います。

 

水道水はそもそも水を水源地から水の乏しい多くの人に安全に渡すために作られたものです。しかし、人の経済活動が活発になるにつれ、そこに生まれるよごれた排水も多くなってゆきます。例えば日本においては1960年頃から本格化した高度経済成長の前後に、人々がどんどん郊外に広がるにつれて、水源地自体の水が汚染されるようになります。そこで「きれいな」水を確保しようとさまざまな薬などにより過度の浄水が行われ(これが、都会の水道水が美味しくないとされる要因なのです)、同時により遠くへと水源地を移す必要に迫られるようになりました。しかし農薬による汚染や、機械工場からの汚れた排水、有害物質などにより、さらにそれらの遠くの水源地の水もどんどん汚くなってしまったのです。

このような人間による水の汚濁は、一部の地域だけではなく世界的な規模で起こっているということが近年わかってきました。人間の住んでいないような地域の水までが、人間の生産活動によって汚されている、というのです。ここで、はじめに見た水の大循環の様子を思い起こして見ましょう。私たちを取り巻く水は地球全体の大きな循環システムの下にあるのです。つまり、水を汚すと、その代償は結局私たちに帰ってくるわけです。このことを整理して考えると、恐ろしいことがわかります。現実に、私たちのライフライン、そして私たちを形作る水は、最初に話したように利用の限界に近づいているうえ、さらにその水自体も汚れてしまって、いや私たちが汚してしまっているのです。

 

まとめ 〜自然の中のヒト〜

 

このような水の汚染は徐々にその深刻さを増しています。世界中の多くの研究機関は、このままではまもなく、世界のいたるところで安全な水が深刻に不足するようになると警告を発しています。そのような警告の多くは、深刻な水不足が起こるのが決して遠い未来のことではなく、私たちのすぐ目前にまで迫っていることを警告する内容です。時計の針は、刻一刻と私たちに現実を突きつけようとしています。

 

では果たして、私たちに不足していること、また必要なこと、そしていま私たちが出来ることとは果たしていったい何なのでしょうか。

最初に見た図、水の大循環の図をもう一度思い起こしてください。あの図に描かれているように私たち人間ひとりひとりは、この地球の上の、とても大きな循環の環の中にいるのです。つまり水について見て分かったように私たち人間は自然の一部なのです。自然の一部である人間。この視点が私たちに不足している認識であり、いま考えなくてはならないことなのではないでしょうか。

日ごろどうしても、私たちは自然を対象として見てしまい、そこに自らが含まれている、という意識を持つことができないでいます。その結果、恣意的で人間中心主義的な生産活動、社会活動を行ったり、結果を長いスパンで考えない快楽的な生活を送ったりすることで、永久に続くはずのない人間の営利を追求した現代文明を推し進めてしまったのです。しかしながらこの地球上に住む生物はわれわれ人類だけではありません。さまざまな生物や植物がこの地球を舞台に生活を育んでいるのです。そしてこの、生植物の多様性こそが自然をバランスよく保ち、生植物の生存基盤ともなっているのです。自然はそういった大きな秩序のもと成り立っているものです。そのような秩序にあって、大切なのはあくまでヒトも一生物であり、自然の非常に大きな流れや仕組み、摂理に含まれるものだと深く認識することなのです。

 

このような認識に立って、物事を捉えなおすとそれまでとは大きく違って見えることが多々あるでしょう。あまりに人間を中心として捉えすぎている、と感じる出来事や、事象、議論もたくさんあることと思います。戦争、その場限りの開発・・・。これらのまったく間違った行動はすべて、エゴイスティックで傲慢な人間の所為によるものだと気づくはずです。そして、私たちひとりひとりが、人間は自然に含まれる存在だと認識し、足元からの意識的な認識のしなおしを図ることによって、地球上の生物、環境、自然はずいぶんと本来の循環を取り戻すことができるのではないでしょうか。すべては循環し、めぐってゆく。それが私たちの生きる自然の摂理なのです。

ガガーリンの、そして多くの宇宙飛行士たちが見た、青い地球をみなさんも宇宙飛行士になったつもりになって頭に思い描いてください。広大な、寂寥とした宇宙に浮かんでいる私たちの地球。地球は本当に、本当に、宇宙に浮かぶ宝石のような惑星なのです。そしてまた、この地球こそが私たちを生み、そして育んだのです。そこには、実に多彩な、さまざまな奇跡が満ち溢れています。二度と繰り返すことのできない、地球という星の多様さ、美しさ。この、唯一無二の、かけがえの無い私たちすべての宝石を、私たちは守っていこうではありませんか。

 

 

参考資料

 

http://www.secom.co.jp/mizuweb/oisii1.html

http://www.con-pro.net/readings/water/doc0028.html

http://hitbit.icu.ac.jp/people/yoshino/waterstage.html

吉野輝雄『国際基督教大学NS−。自然の化学的基礎 授業ハンドアウト』2002年度冬学期

TVたけしの万物創世記番組制作スタッフ『たけしの万物創世記』(幻冬舎, 1998年)

 


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