水のありふれた特殊性

 

 

  水は、地球上に様々な形で偏在している。その総量は、13億8400万キロ立方メートルにもおよび、陸地面積のおよそ2.4倍を占める。97.5%が海水として存在し、淡水としては2.5%、そのうち利用可能な水量に至ってはわずか900億トンにとどまる。太古の昔から生命の源としてありつづけ、人間の文明、営みの根源と認知される水だが、それを可能にした水の量が、実はこれほどわずかであったという事実は驚きではないだろうか。

 

 命の構成単位の大半は水で、人間の場合、体の約70%は水で構成されている。成人一人が一日に必要とする水の摂取量は、2,3リットルといわれ、水の供給が三日絶たれると、幻覚症状を経て死に至る。水は、あくまで一つの物質であるが、命の持続に欠かすことができない。幾億もある物質のなかで水ほど生命が必要とするものはない。

 

 月面に降り立ち、闇に一個浮かぶ地球を眺めて、ガガーリンは、「地球は青かった。」と、言った。『水の惑星』の名前が示すとおり、地球は、水をいっぱいにたたえた星だ。ここで特筆すべきは、地球上で水がおりなす豊かな形態の変化だ。個体、液体、気体の三態を縦横無尽に行き来して、地球を巡る水は様々な様相を見せながら、かつそれらをめまぐるしく刻一刻と変化させる。どこまでも海だと思った水が、朝の大気を立ち昇らせ、そうしてできた雲の塊は、しかし、空にとどまることを知らず、次の瞬間には雨となって大地に降りしきる。雨を受けた大地は潤い、深い森の中には夜霧が生まれる。苔をつたって落ちた雫が地中にしみこんで、泉が湧く。水を束ねた河の流れは人に歌を歌わせもするが、そんな歌の主を水は無下に溺れさせてしまう。滝となったり、氷河となったり、また海に戻ったりと、水の変容は限り無い。隠者の前に世の移ろいを顕したのも、フランス近代に、ドビュッシー、ラヴェルをして反映と生態、そして戯れを描かせたのも水だし、谷川俊太郎にひとつの詩を提示したのも、やはり水なのだ。美しい水車小屋の娘に苦悩した青年に、最後に安息を与えたのは、水ではなかっただろうか。

 

 大量の水が液体として存在することは、生命にとって非常に大きな意味を持つ。なぜなら、生命を可能にする絶え間ない物理的、化学的物質の流動は、物質の受容と素早い拡散によって成り立っているからだ。水の溶解能力が群を抜いて優れているとしても、氷中では、物質の円滑な移動は不可能であり、水蒸気では、物質は媒介を得られない。多くの物質を許容、移動させる液体としての水が生命には不可欠だった。液体としての水を存在させたのは、地球の太陽との絶妙な距離バランスと地球自身の大きさ、つまり大気を引きとどめるだけの重力の保持、この2つの理由がまず挙げられる。しかし、更に重要なのは、水は温度変動が少なく、他の物質よりも安定しているということだ。(Sosta, 1974)。これにより、太陽から放たれる膨大な熱量は拡散され、地球全体の温度は周辺の惑星に比べ、ずっと安定している。この大気と水の温度の安定、液体としての水の有無が、今日の生物を支えている。水の存在を噂されて久しいが、事実だとしても氷としてであろう火星の住人は、水の恩恵はあまり期待できなさそうだ。

 

 水の科学的特性として、強力な溶解性を挙げられる。水が溶解可能な化合物数は、無機化合物183種のうち89種、有機化合物では107種中52種、つまり290種類の化合物のうち、併せて141もの物質を溶かし込むことができる。この総数は、アルコールやエーテル以上である。水への溶解を免れる物質は、そう多くない。大抵のものがその中に溶け、あらゆる溶液を作り出す。一番の例は、もちろん、海だ。海という巨大な溶液には、実に92種もの元素が溶解しており、このことが、地球に生命という現象を可能にした。

 

 生命の起源は、いまから30億年前の荒々しい海洋のただなかに遡る。そのころの地球は、宇宙空間に燃え盛る火の玉として誕生した当初の面影はだいぶ薄れたものの、雷雨がとどろき、紫外線が直接降り注ぐ、いまだ猛り狂った世界だった。そんな混沌とした原始地球に様々な元素を大量に含んだ水、海が生まれ、7億年の後、多様な生命への可能性を内包した単純な有機物が誕生した。ミラーが再現した原始大気は、二週間の放電の後、現在の複雑な生命現象を可能にするグルコース、リボース、アデニンの原型である有機化合物をそれぞれ生成してみせた。ここから、コアセルベート(糖、アミノ酸等を高濃度で含む一種の液胞)の生成により生命が「誕生」し、簡単な発酵、DNAによる自己複製、光合成、呼吸というシステムの発明がなされるなかで生物の多様性は展開していった。やがて、このような幾重にもわたる分岐の一端に、ヒトの直接の祖先であるホモ・サピエンスが誕生した。これが、50万年前のことだ。43億年の時間は、地球に海をもたらし、それぞれの異なった生物が各々の時代を謳歌した。200万年前アウストラ・ロピテクスが登場し、続いてホモ・サピエンスが現れ、こうしてようやくヒトの歴史が黎明を迎えることになるのだが、その後、人類史上最古とされるエジプト文明が「ナイルの恵み」のもとに栄えるには、あと更に49万年の歳月を待たなければならない。ここから分かるように、人類は、地球の43億年に対し、ほんの200万年しか存在しておらず、しかも文明の年齢に際しては、最古のものでさえ1万年の時の経過をみていないのだ。太古から続く文明に「悠久」という言葉があるとしても、この語でさえ、そんな人間の時の範囲をでることはない。

 

 人間は、文化を築き、今日それを基盤に生きている。しかし、その基盤である文化、あるいはもっとカテゴリーを広げて文明は、地球の長い年月の遺産の上に立っている。人間その他の多くの動植物が地上で生活できるのは、33億年前に光合成を発明した藍藻類が排出した酸素がオゾン層を形成し、紫外線による死の危険を取り除いたからだ。これがなければ、いつまでたっても地上はおろか、海中にも、緻密な構造を持ち、それゆえ劇的な環境の変化に対応できない生物が姿をあらわすことはなかっただろう。オゾンの形成後、海の世界は、多種多様な生物により彩りを増した。甲殻類、魚類の割拠する水中で、オゾン形成の立役者である藻類は、このまま生命史の表舞台を明け渡すかのように思えた。ところが、植物はここでもまた動物を主導する。4億年前、地上にはまだ恐竜の原型となる両生類は存在できなかった。酸素が乏しかったからだ。水中から最初に陸地に上がった生物は植物だった。上陸した植物は、始めは水辺で、それから徐々に岸から離れ、とうとう完全に陸上生活に適応した。苔からシダへ、シダから裸子植物へ、裸子植物から被子植物へと姿を変え、陸上は植物の楽園となった。この過程で、植物は空気中に充満する二酸化炭素を大量の酸素に変換し、まもなく肺と確かな骨格を持った魚、両生類が登場することになる。陸上の新顔両生類は、水から顔を出したとき、酸素を肺いっぱいに吸いこむと同時に、眼前に生い茂ったシダやソテツと対面したに違いない。

 

 命のどの瞬間にも水が顔を出さないときはない。生命は、海を母にうまれ、その関係は、陸上生物が海との直接の関わりを絶ったあとも、少しも変わるところがない。事実、例えば、人間の組成は、単に水を多く含むというだけでなく、海の組成と大変似通っているのだ。海は、今でも体の中に存続している。そして、水のあるところに命は栄え、人間は、水とともに時を重ねてきた。エジプト、チグリス・ユーフラテスに限らず、全ての人間が水の恩恵に預かっているのだ。近年、水をめぐる問題が顕在化しており、早急な対策が必要になっている。問題の背景には、水はありふれている、世界は水で溢れている、という水に対する理解、関心の低さがある。生命が水の循環の中に存続しているという事実は、近年、多くの社会で見過ごされがちである。そんな現在、水の起源、水と生命のかかわりにもう一度立ち返る必要があるのではないだろうか。

 

参考資料:

 吉野、輝雄「『水』‐‐‐‐水と人間との共生−−−−」、2001。*2‐5章  

 


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