水と世界とあなた自身

 

 「水は無味、無臭、無色透明で、物理・化学的に特に注目すべき特徴もない。しかも、この地球上のどこにでもある最もありふれた物質だ。」と考えている高校生へ

 

 あなたは、‘水’について、「無味、無臭、無色透明で、物理・化学的に特に注目すべき特徴もなく、この地球上のどこにでもある最もありふれた物質だ。」と考えているようですね。面白い視点だと思います。‘水’は確かに、私たちの住む日本においては、ありふれた・・・ように存在する物質と感じられて当たり前であるかもしれません。蛇口をひねるだけで、‘水’は出てくるのですから。しかし、あなたは「注目」するべき点はなど何もないと言いながらも、すでに「無味、無臭、無色透明で、最もありふれた物質」と‘水’を意識しているではありませんか。そこで、‘水’とは、本当にあなたの言う通りのものであるのか、もう少し掘り下げて考えてみませんか。私たちの最も身近に存在する‘水’であるからこそ、「注目」してみましょう。

 幼い 頃の雨の日を思い出してみて下さい。長靴をはいて、水たまりでバシャバシャと水しぶきをあげて遊んだことはありませんか。雨上がりの虹を見て、触ってみたいって思ったことはありませんか。また、晴れた日の真っ青な空にプカプカと浮かぶ雲を見て、乗ってみたい(食べてみたい!?)って思ったことはありませんか。これらは、すべて幼い頃の私たちの‘水’への「憧れ」です。

 個人的な話になりますが、私は夏のプールで監視員をしています。その時いつも私は、なぜ、あなたに言わせれば、「何の特徴もなく、ありふれた物質である」‘水’を、ただ大量に溜めているだけのプールで、子供から大人までがあんなに楽しそうに笑えるのだろうと、疑問に感じるのです。水のなかでは、私たちの動きは制限されて、陸上のように自由に走ったりすることはできません。そして時として‘水’は非常に危険なものにもなりえます。それなのに、子供たちは、我先にと競ってプールへと飛び込むのです。きっとあなたにも、この子供たちと同じように海や川、湖、そしてプールなどで、疲れてクタクタになるまで遊んだ経験があると思います。‘水’は、私たちに様々な楽しみを提供してくれるのです。

 そう考えると、‘水’のない世界は、なんてつまらないものだろうと思いませんか。いや「つまらない」では済みません。‘水’なしでは、私たちは生きていくことすら、もっと言えば、存在することすらできないのです。

 よく言われることですが、人間の身体の約70%は‘水’です。そしてその内、2%を失うとのどの渇きを感じるようになります。5%を失うと幻覚症状が起り、また12%を失うことは死を意味します。私は先程、‘水’について、私たちの最も身近に存在するものであると言いました。しかし、それは間違いですね。‘水’は、私たちの身の「内」をも満たし、私たちは‘水’によって生かされているのです。

 歴史の教科書の決まりの文句ですが、四大文明はすべて河のほとりで発達しました。昔から人々の生活にとって、‘水’は不可欠なものだったということがわかります。しかし同時に、古来人々とって‘水’とは、利用するためのものではなく、興味関心、思考の対象でもありました。古代ギリシャの時代から、哲学者や科学者などの多くの人が、‘水’について様々なことを考えてきました。今、私たちは当たり前のように‘水’をH2Oという化学式で表すことができますが、これも多くの研究者が‘水’に「注目」し、長年の研究の積み重ねの結果、判明したものなのです。

 ここでいくつか、「物理・化学的な」‘水’の主な特徴を紹介します。突然ですが、問題です。水が入っているコップに氷を入れるとその瞬間、その氷はどうなるでしょうか。当たり前ですね。浮きます。しかし、実はこれはとってもおかしなことなのです。水以外の物質は、固体が液体より密度が大きいため、液体の中で固体は沈みます。‘水’だけが、液体であるよりも固体である方が分子同士のすき間が広く、密度が小さいのです。そのために、氷は水に浮くことができるのです。冬に完全氷結した湖や池の中で、生物が生きられるのもこの‘水’のおかしな性質のおかげなのですね。もし氷が水に沈むものならば、湖や池の中の生物は氷に押しつぶされてしまうでしょう。他にも‘水’には、様々な異常な性質があります。例えば、‘水’は表面張力が非常に大きいため、100m以上の高さのある巨木のてっぺんまで、登りつめることができます。また水は、大きな溶解力も持ち、酸素や栄養を巨木のすみずみまでに運搬することができるのです。私たちの身体の隅々まで血液が行き渡るのも、この‘水’の性質のおかげです。一見、「注目すべき特徴もない」‘水’ですが、実はとても魅力的で、そして私たち生き物にとって不可欠な性質を備えているのです。

 このように特別な性質を持つ‘水’ですが、世界中の全ての人々から関心を抱かれているわけではありません。‘水’は空気のように限りのないものと‘水’を当然あるべきものとみなしている人も大勢います。以前、人間がまだ「水の大循環」という自然界の神聖なシステムの枠組みから、はみ出さない程度の生活を営んでいたとき、‘水’は自然の助けと借りながら自らを浄化し、またもとの形で私たちの元へ帰ってきました。しかし、私たちは今、合理性だけを追求した人間中心の開発による水質汚染、人口の爆発的増加にともなう水不足と水をめぐる争い、水紛争に直面しています。地球上の全ての人が、‘水’に真剣に「注目」しなくてはならない非常事態がおきているのです。

 この非常事態の中、いち早く‘水’に注目した人もいました。そして彼らは、‘水’がないなら、新しく‘水’を作りだす、または、どこかから‘水’を運んできて商売をするといたことを思いつくのです。とても資本主義社会に生きる人間・・・らしい発想ですね。海水を淡水化する技術が開発され、また、湖を買い取り、その水をペットボトルにつめて市場で売るといった水の商品化も進んでいます。しかし、考えてみて下さい。今、私たちが直面している‘水’を取り巻く問題は、全て人間中心の考え方によって引き起こされた20世紀の負の遺産です。海水の淡水化や湖水の商品化は、人間による人間のためだけの取り組みです。これでは、また同じことの繰り返しです。いや、今までよりさらに深刻な‘水’問題を引き起こす可能性もあるかもしれません。21世紀は、私たちは人間の価値観のもと人間のことだけを考えるのでは不十分です。時間や空間の概念を地球全体といった大きなスケールでとらえ、すべての生物も含めたグローバルな視点が私たちには求められているのです。安全な‘水’の確保は、すべての生き物にとってとても大切なことですね。‘水’を得ることは、生きることを意味します。‘水’がないなら必要以上に使わない。そして雨水の再利用など、もっと上手な‘水’とのつきあい方を私たちは考えていくべきでしょう。

 写真(※注1)を見て下さい。この点々と並んでいるものは、何に見えますか。これは、アフリカ、セネガルのエルバリン村の風景です。いくつかの屋根が凹んでいるのがわかりますか。その凹んだ先には穴が空いていて、家のなかの貯水槽へとつながっています。この村では、屋根は雨をしのぐものではなく、雨水を得るために利用されているのです。海に近いエルバリン村は、川の水も地下水も塩分が強く、‘水’は雨水に頼ることしかできません。エルバリン村に住む人々にとって、雨水の利用は、生活のごく一部であり、当たり前のことなのでしょう。

 

<※注1 エルバリン村 アフリカ・セネガル (『国際協力2001年9月号』より)>

 

 これは、私の個人的な経験ですが、緑が生い茂る農業大国であるニュージーランドにおいて、ほとんどの郊外の家に、たいていが農家ですが、雨水を貯めるタンクがありました。そして、シャワーは一人平均5分という決まり。お風呂好きの日本人にとって、たった5分のシャワーとはとても物足りない気がしますが、その5分を守ること、心がけることによって、‘水’の貴重さ、大切さを実感として感じることができるのだと思います。

 セネガルのエルバリン村やニュージーランドの地方のように、生活のなかで当たり前なものとして認められている方法ではありませんが、蛇口をひねれば‘水’が出る日本でも、雨水の利用は注目されてきています。今年、2002年にワールドカップが行われる埼玉スタジアムは、3250立方メートルもの雨水を利用できるシステムを備えています。貯水槽にたまった雨水は、通常、グランドへの散布水やトイレの洗浄水として使われ、また災害時には、浄水機を使い3000人が、1ヶ月暮らせる分の飲み水を確保できるそうです。このような大規模な取り組みでなくても、私たち一人ひとりが普段からできることはありますよね。ここではあえて具体的に提示はしませんが、自分自身でぜひ考えてみて下さい。まず、考えるということが、‘水’に対する取り組みの始めの一歩です。そして、行動、実行へと移していって下さい。

 さてこれまで、‘水’について私が考えることを述べてきました。現在の‘水’をめぐる様々な問題について、全てを今、理解しようとすることは難しいでしょうが、私の‘水’に対する想いが、あなたの‘水’について考えるきっかけとなれば幸いです。 では、最後にもうひとつだけ・・・。もしあなたの家の近くに川が流れているのなら、ほんの少しの間でもいい、その川を眺めに出掛けてみて下さい。もし海があるなら、海岸沿いを歩いて波の音を聞き、靴を脱いでその‘水’に足をつけてみてください。忙しいのならば、朝、顔を洗うときでもいい、シャワーを浴びるときでもお風呂に入るときでもいい、柔らかで心地よい‘水’に触れ、‘水’の音を聞いて下さい。そして感じて下さいね。水と世界とあなた自身のつながりを。

 

<参考文献>

 


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