『母なる水−遠藤周作から学ぶ』

 

「水は無味、無臭、無色透明で、物理・科学的に特に注目すべき特徴もない。

しかも、この地球上のどこにでもある最もありふれた物質だ。」

 

このように君たちが考えるのも無理ないね。だって蛇口をひねれば当たり前のようにみずがでてくるのだもの。レストランに行った時だって、黙っていても水って出てくるし。しかも、お金がかからない。それに、よく考えてごらん。朝起きてから夜寝るまで、私たちが水と関わらない日なんてないでしょう。だから、水をありふれた物質であると考えるのも仕方がないね。

 

そのもっともありふれた、何の変哲もない水。その何の変哲もない水が、私たちの全てを受け止め、私たちを黙って包み込む存在である、と考えたことはあるかな?何の変哲もない物質と思われている水が、実は私たちの母なる存在であると考えて見てはどうでしょう。

 

ところで、君たちは遠藤周作の『深い河』って知っているかい?いきなり何で私が文学の話をしだすのか不思議に思う人もいるかもしれない。だけどね、私が「水の力」というか「水の異常性」を考えたときに真っ先に浮かんだのがこの作品なんだよ。今回は、水の性質そのものよりも、この『深い河』をとおして、君たちに今一度「水」と私たちの深い精神の結びつきについて考えてもらいたいと思います。

 

この物語の主な登場人物は4人。長く連れ添った妻を癌で亡くした磯辺、ビルマでの悲惨な戦争体験を持つ木口、愛とは何か、自分は何を求めているのかを見つけられないでいる美津子、そしてキリストに一生を捧げる大津。それぞれは過去を大きく引きずりながら、今まで見つけられなかったものを求めて、引き寄せられるようにインドへと向かっていったのです。

 

ではまず、各々がインドへと向かった経緯と、物語中の要所における水の効果的な描写から説明したいと思います。

 

最初に磯辺の場合を考えてみます。この物語は、妻の癌の宣告シーンから始まるのですが、病院の中での夫婦の会話の一節にこんな描写があります。

「あの樹どれくらい生きてきたのかしら」

  「二百年ぐらいじゃないか。とにかく、このあたりで一番古い樹だろう」

  「あの樹が言ったの。命は決して消えないって」

   元気な頃も妻は毎日、ベランダの花に水をかける時、少女のように、一つ一つの鉢に話し掛ける癖があった。

ここで注目したい点は、生と死との対比です。死を目前に控えた妻と、花に水をやるという、生の動作。妻の死が迫っているということと対比して、水は生の象徴として強調されています。

また、彼女は死の直前にこんなことばを残しました。

  「わたくし・・・・・必ず・・・・・生まれかわるから、この世界のどこかに。探して・・・・・わたくしを見つけて・・・・・約束よ、約束よ」

彼は妻の死後、前世研究をしている学者が書いた本に巡り会います。そこから彼は、前世が日本人であったという少女がビルマにいることを突き止めるのです。彼は半信半疑ながらも、妻の最期に残した「必ず・・・・・生まれかわるから、この世界のどこかに。探して・・・・・わたくしを見つけて」ということばを胸に、インドへの旅路に向かいました。

 

次に、木口の場合を考えてみます。木口は、戦争中にビルマのジャングルでの凄まじい体験を持っています。その経験を描写したシーンの中にも、水は大きな役割を果たしています。

    雨が叩きつける樹海。その中の退却。マラリヤ。飢餓。絶望。

(あの時、俺たちは死に向かって夢遊病者のように歩いていた。)

             (中略)

 時折、雨がやむ。そして僅かな間だが雲が白む。あちこちで小鳥が急に鳴きはじめる。あかるい、朗らかなその鳴声の中で「ここで死なせてください」という人間の呻き声が右からも左からも聞こえる。

ここでは先ほどと反対に、水(ここでは雨)が死を意味するものとなっています。鳥の鳴声が生の象徴として描写され、ビルマの雨を一層生々しく死の代表のように際立てています。そう、水は死とも結びつくことがあるのです。また、別の例を出してみます。

   半分以上の兵隊はマラリヤにかかっている。ボウカン平地はコレラが流行しているので絶対水を飲まぬようにと大橋軍医が兵隊たちを戒めたが、赤痢ともコレラともつかぬ血が混じった便を絶えずたらす兵も多かった。

以上の部分でもまた、水を飲むという生の行為と、反対に水を飲むとコレラにかかるという死への動作の比較がなされていますね。

結局彼は生きるために水を飲み、マラリヤにかかってしまいます。しかし、戦友の塚田という男が彼を助けてくれました。塚田は「ほたる粥」と呼ばれていた僅かな米と雑草を入れたものと、「肉」をどこからか見つけてきて、木口に食べさせます。「肉」のほうは、木口は受け付けられず食べられなかったのですが、この甲斐あって両者は無事復員することができたのです。しかし、戦後復興した頃に木口はアルコール依存症になった塚田と再会します。彼がアルコール依存症になった原因は、あの時差し出した「肉」にあったのです。あの「肉」は実は人肉だったのでした。耐えられぬ飢えに負けて、人の肉をたべてしまったという罪の意識から逃げるように、彼は酒をあおり、結局は吐血をして亡くなってしまいました。木口は塚田をはじめ、ビルマで戦死した仲間を弔うため、インドへやってきたのです。

 

最後に美津子と大津の場合を一緒に考えてみます。この二人は、大学の同級生でした。大津は敬虔なクリスチャンで、一方美津子は学生にしては贅沢なマンションを借り、スポーツカーを乗り回すような派手な大学生でした。しかし一見派手な彼女は、実は誰も信用できず毎日の生活に満たされない虚ろな日々を送っていました。そんな時遊び仲間からの誘いで、彼女は放課後のチャペルで毎日キリストを祈っている大津から、彼が一番信じているものである神を奪い、誘惑して堕落させるという役割をやってのけます。

   (どう)と彼女はその痩せた男に言った、(あなたは無力よ。わたくしの勝ちよ。彼はあなたを棄  てたでしょ。棄ててわたくしの部屋へ来たわ)

   彼はあなたを棄てて・・・・・・と心の中で言いかけて美津子は突然、自分が大津を棄てる日が来ることを思った。

 その後彼女は大津を棄て、別の平凡な男性と結婚するのですが、その結婚式の二次会で大津がフランスで神学生になったということを知ります。一度は神を棄てたはずの大津がまた神のもとへ帰ったということから、彼女は自尊心を傷つけられます。そして彼女は大津に会いに新婚旅行にフランスを選びました。リヨンのソーヌ河の河辺での二人の会話にこんな個所があります。

    「学生時代に貴方に無理やりお酒を飲ませたことがあったわね。あなた・・・あの時、神を棄てたんじゃない」と美津子は大津の古傷に指を入れた。「それなのに神学生になぜなったのかしら」

    大津は目をしばたたきながらソーヌ河の黒い流れに視線を落としていた。川面には石鹸のような泡がいくつも浮かび、それが流れている。

    「美津子さんに棄てられて、ぼろぼろになって・・・・・行くところもなくて、どうしてよいか、分からなくて。(中略)僕は聞いたんです。おいで、という声を。おいで、私はおまえと同じように棄てられた。だから私だけは決して、おまえを棄てたりしない、という声を」

ここでも、水が大切な役割をしています。『ソーヌ河の黒い流れ』という描写は、彼が誘惑に負けたという暗い過去を示しているのではないでしょうか。また『流れ』というところでは、その過去を洗い流し、信仰を結局取り戻した彼の心境の変化の過程を示しているのです。

美津子の結婚生活は結局破綻に立ち至ります。そして一心に神の愛を信じる大津とは反対に、彼女が学生時代から抱きつづけていた、「誰も本当に愛することができないかもしれない」という疑問が現実のものとなります。

また、同時期に大津は、そのフランスの神学校で

「神はいろいろな顔を持っておられる。ヨーロッパの教会やチャペルだけでなく、ユダヤ教徒にも 仏教とのなかにもヒンズー教の信者にも神はおられると思います。」

と、つねに考えてきたことを口頭試験のとき答えてしまい、その考えが汎神論的な考えだという評価を受けてしまいました。結局彼は正統的な道筋を踏みそこない、迷いつづけることとなって、ついにはインドのベナレスにたどり着き、ガンジス河畔のヒンズー教徒の火葬、水葬の手伝いをすることになったのです。美津子も自分の心の奥にある何かを探しに、もしかしたら落伍者である大津を探しに、インドへと向かったのかもしれません。

 

このようにそれぞれの目的を持って、彼らはインドへとやってきました。そこで彼らを待ち受けていたのが、母なる河ガンジスでした。

 

その前に、簡単に母なるガンジス河とヒンズー教の密接なつながりについて説明したいと思います。ヒンズー教徒は、富める者は汽車や車で貧しいものは徒歩で、ガンジス河を目指して巡礼してきます。ヒンズー教の信仰によればガンジス河の聖なる水に浸るときは全ての罪障は清められ、死が訪れたとき、その死体を河に流されれば輪廻から解放され、より良い来世を送ることができるといわれています。そして、このガンジス河は聖にして母なる河なのです。生と死とが同時に存在する河。これを示すこんな一節があります。

石段には大きなかさを広げ、黄色い布をまとったバラモン僧が祝福を乞いに来た新婚夫婦を祝福していた。遠く南側では、ようやく焼けた、死体の灰を三人の白衣の男が河にスコップで流していた。死者の灰を含んだ水がそのままこちらまで流れてくるのに、誰もがそれを不快に思わない。死体の灰を流すすぐ横でヒンズー教徒は口をそそいだり、頭を洗ったりする。

母なる河は生ける者も死せる者も受け入れます。彼らにとって母なるということはこういうことなのです。

 

では、物語の続きを見ていきたいと思います。それぞれは、このガンジス河を目の当たりにし、独自の答えを導くことができました。

 

磯辺は結局妻の生まれかわりを見つけることはできませんでした。しかし、彼は大切なことに気付くのです。彼は河に向かってこう叫びます。

「お前」と彼は呼びかけた。

「どこへ行ったのだ」

かつて妻が生きていたとき、これほど生々しい気持ちで妻を叫んだことはない。

            (中略)

だが、一人ぽっちになった今、磯辺は生活と人生とが根本的に違うことがやっと分かってきた。そして自分には生活のために交わった他人は多かったが、人生の中で本当にふれあった人間はたった二人、母親と妻しかいないことを認めざるを得なかった。

河は彼の叫びを受け止めたまま黙々と流れていく。だが、その銀色の沈黙には、ある力があった。河は今日まであまたの人間の死を包みながら、それを次の世に運んだように、川原に腰かけた男の人生の声も運んでいった。

妻の生まれかわりを探しに来た磯辺。しかし河は、彼にとって妻がどれだけ大きな存在であったかを語りかけ、また、彼の寂しさを包んでくれたのです。

 

また、木口はガンジス河から『転生』ということを学びます。

 「戦友は私を助けるために肉を食うた。肉を食うたのは恐ろしいが、しかしそれは慈悲の気持ちだったゆえ許される。転生とはこのことじゃないでしょうかね」

つまり、ある人の死が、他の人の生を助ける。生の死が隣り合わせである状態。まさにガンジス河そのものなのです。

河を見つめながら木口は暗誦している阿弥陀仏の一節を唱え始めた。河が流れていく。緩やかなカーブを描きながら南から北へ、ガンジス河は動いていく。木口の目にはあの死の街道で、うつ伏せになり、仰向けになり、死んでいった兵士たちの顔が浮かぶ。

木口は塚田をはじめ、戦友たちの転生を垣間見たのかもしれませんね。

 

美津子は河から、自分が何を求めてきたのかに気付き始めます。

美津子は流れる方角に向いた。視線の向こう、緩やかに河は曲がり、そこには光がきらめき、永遠そのものだった。

「人間の河があることを知ったわ。その河の流れる向こうに何があるか、少しだけ分かったような気もする。信じられるのは、それぞれの人がそれぞれの辛さを背負って、深い河で祈っている光景です。その人たちを包んで、河が流れていることです。人間の河。人間の深い河の悲しみ。その中にわたくしもまじっています」

 彼女はやっと自分の人生の意味を、他人を愛するということをガンジス河から気付かされます。彼女の心の奥にしまわれていた感情を河は引き起こしてくれました。そして、大津のこと、大津が信じているものも少し理解でき始めたのです。

 

 大津の場合は、始めから持っている自分の考えがありました。『神はどのなかにもいる』ということです。しかし、ガンジス河にくるまでの大学生活でも、フランス留学中でもこの考えが受け入れられることはありませんでした。しかし、彼はガンジス河にきて、人の生と死を間近に見て、初めてその考えが正しいという確証が得られたのです。

「ガンジス河を見るとき、僕はキリストを考えます。ガンジス河は腐った手を差し出す物乞いの女も殺されたガンジー首相も同じように拒まず一人一人の灰を飲み込んで流れていきます。キリストという愛の河はどんな醜い人間もどんな世ほれた人間も全て拒まず受け入れて流れます。」

生と死とを、富めるものも貧しいものをもわけ隔てなく包み込む母なる河だからこそ、万人に平等に神がいるという大津の考えはあたたかく受け入れられたのです。

 

 

このように『深い河』から、水が一人一人の思いを運び、水がいかにして人間の生と死とを超える存在であるのか、また水が辛い過去をやわらげてくれるということがわかったでしょうか。水、それは私たちをありのままに受け止める母なる存在なのです。時には私たちに大切なことを教え、あるときには新しい生命をもたらし、そしてあるときには全てを受け入れてくれる母なるもの。水はどこにでもあるありふれたもの。しかしその水には人間にヒントを与え、人間のこころを和らげ、なにより精神的にかなり強い結びつきがあるという力を持っています。

 

最後に君たちに紹介したい歌の一節があります。

 

深い河、神よ、私は河を渡って、

集いの地に行きたい        黒人霊歌

 

君たちはこの深い河の先に、何があると考えますか?

 

 


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