言葉の泉

051182 加藤 千夏

 

 世界中の誰が、水は「どこにでもあるありふれた価値の無いものである」などと言えるだろう?確かに水は、形は違えどもどこにでもある。水道水、ペットボトルの飲料水、雨、雪、霜、雲、霧、霞、涙、汗、血液、羊水、空気中の水蒸気、海、、湖、川…。これ以外にもありとあらゆるところに存在している。しかし、価値の無いものであると決め付けるのはどうだろうか。水は、他のどんな物質よりも様々な表情を見せる。それゆえに私達の生活のありとあらゆる場面に様々な形で密接に結び付いているのだ。「水に触れる」、「水と接する」など水のある景観を通して、心理的、情緒的満足感を得ることを親水活動という。昔から人々は水と触れ合って魂のバランスと保ってきた。実際に水に関する様々な伝統行事も各地に存在することから分かるように、水は古くから現在に伝わる日本文化の中で大きな役割を果たしている。今日は高校生の君たちに水の存在がどれほど日本文化、特に日本語の様々な表現の中に息づいているのかを、例を挙げながらお話ししたいと思う。

日本は水と緑の国と言われる。この豊かな自然の中で人は季節ごとの水の微妙な変化を感じ取り、それを表現してきた。春は水ぬるむ、秋は水澄む季節と言われる。雪解けの水は「雪消(ゆきげ)の水」、雪解けで水かさの増した川や湖の水は「春の水」と呼ばれ、日向であたためられた水は「日向水」と呼ばれる。季節ごとの雨を表す言葉もいくつかある。若葉が芽吹く頃静かに降る「春雨(はるさめ)」、花が咲き始める頃、開花をうながす要に降る「催花雨(さいかう)」、菜の花の咲く頃に降り続く「菜種梅雨」。春の雨の表現はとても豊かである。また、春の長雨を「春霖(しゅんりん)」、秋の長雨を「秋霖(しゅうりん)」と呼ぶ。陰暦五月の長雨は「五月雨(さみだれ)」といい、晩秋から初冬にかけて降る雨を「時雨(しぐれ)」という。このように人々は昔から季節の中のかすかな水の変化に敏感であり、様々な言葉を生み出してきた。これは水が人々の生活に密接な関わりがあったということの証拠ではないだろうか。

次に和歌に中で遣われている水に関する日本語を紹介したい。涙は「露」に例えられる。「拾遺和歌集」の詠人知らずのうたにこんなものがある。

 

秋はわが心の露にあらねどもものなけかしきことにもあるかな

 

「心の露」は哀しみのために溢れる涙のことだ。関連表現として、つのる思いの強さゆえにこぼれる涙を表す「思いの露」という言葉もある。他に「月の雫」とも呼ばれる「露」は様々な表現に遣われる。「言葉の露」は言葉の美しさとはかなさの、「情けの露」は情愛のうるおいの、そして、「縁(ゆかり)の露」は縁のわずかなことの例えである。次のうたを見てみよう。

 

小山田のなはしろみづは絶えぬとも心の池のいひははなたじ

 

これは「後撰和歌集」の詠人知らずのうたである。「心の池」は水をたたえた池のように思いをたたえていることを表現したものだ。他にも思いの深さを表すものに、川や湖などで水がよどんで深いところを指す「淵(ふち)」という言葉を遣う。思いや恋の深さを「思いの淵」、「恋の淵」と表す。同じように、「古今和歌集」の在原業平のうたに次のようなものがある。

 

かずかずに思ひ思はず問ひがたみ身を知る雨ぞふりぞまされる

 

「身を知る雨」とは、自分の身のほどを知らされる雨という意味で「涙」のことである。ちなみに「涙の雨」は雨のように流れる涙を表す。

水の形態のひとつである「霜」にも形によって様々な名前が付けられている。例えば、地上に広く降りた「霜畳」、地中の水分が凍った柱状の「霜柱」、窓に置いた「窓霜」などが例として挙げられる。次に、霜が詠みこまれた「古今和歌集」の藤原関雄のうたを見てみよう。

 

霜のたて露のぬきこそよわからし山の錦の織ればかつちる

 

「霜の経露の緯(しものたてつゆのぬき)」は紅葉を、霜を縦糸に露を横糸にして織った錦と見なした表現である。他にも、霜が降りしんしんと冷えた様子を「霜の声」と呼ぶ。また、月の冷たい白さを霜にたとえて「月の霜」ともいう。

今度は「霧」や「靄(もや)」、「霞」について考えたい。始めにこの三つについての定義をしておくと、霧とは「地面に生じた雲」で「見通せる距離が1km以上の場合は靄(もや)と呼んで霧と区別」している。霞に関しては「気象観測上の用語ではなく…霧や靄などのため遠景がぼやけてみえること」としている。気象学上、これらの三つは季節には関係ない現象であるが、うたの世界では春に立つのが「霞」、秋に立つのが「霧」とされている。「万葉集」の柿本人麿のうたにこの季節観が現れている。

 

ひさかたの天の香具山この夕べ霞たなびく春立つらしも

 

夕方、あたりに立ちこめる霞を「夕靄(ゆうもや)」と呼ぶ。また霧には「息」の意もある。ため息をついて息が白くなることを「嘆きの霧」という。晴れぬ思いは「思いの霞」、涙で目がよく見えないことを「涙霞」ともいう。

それでは今度は雪についてはどうだろう。「源氏物語」(紫式部)に「童べ下ろして、雪まろばしせさせ給ふ」とある。「雪転し(ゆきまろばし)」は雪のかたまりを転がして丸める遊びであり、「雪丸げ(ゆきまるげ)」ともいう。松尾芭蕉の残した俳句に次のようなものがある。

 

君火をたけよきもの見せむ雪まるげ

 

昔から雪は人々の遊び心を刺激するものだったようだ。今でも雪が降ると私はどこか神秘的に感じ、情緒を感じる。昔の人々もそうであったのだろう、雪はいろいろな名を持つ。「細雪(ささめゆき)」は細かく降ったり、まだらに降る雪を指す。「粉雪」は細かくさらさらとした雪で、「淡雪」は柔らかく消えやすい春の雪のことである。また、春になっても消え残っている雪を「残雪」と呼び、それがこれから降る雪を待っているように見えることを「友待つ雪」と表現する。

それでは最後に、始めに生命が誕生したとされる海に注目してみよう。海は季節によって違う表情を見せる。「春の海」はゆったりのんびりと、「冬の海」は暗く荒涼としている。冬の海の様子を詠み込んだうたをみてみよう。

 

冬の海汝れのうつろを照らしつつさみしくも天の日はうつりゆく

 

これは窪田空穂の「濁れる川」からのものである。冬の海から受けるせつなさやさみしさが詠われている。海の色は、海水や海底の様子、空の色などによって変化する。「碧海(碧海)」は青い海のことで「青海原(あおうなばら)」ともいう。夕日に染まる海は「紅の海」、銀色に輝く海は「銀海(ぎんかい)」という。また、底知れぬ深さ広さを海にたとえた表現もある。「情けの海」は愛欲の深さ、「心の海」、「言葉の海」、「知恵の海」はそれぞれが広く深いことのたとえである。

 

ここまで見てきたように、水の様々な形態ごとにそれぞれの特徴を表すたくさんの日本語の表現がある。それだけ水は形を変えて私たちの生活、考え方や思想、感情に深い関わりがあるということではないだろうか。

私たちは、水から生まれ、水へと還る。人間、である。私の中には水があり、私の周りにも水がある。巡ってゆくもの。太古の昔から変わらずにあるもの。人は、水から生まれた。そしてまた水に還ってゆく。水は「どこにでもある価値のないもの」などではない。むしろ、水こそが私たちの生存に関わる一番大切なもののひとつではないだろうか。「言葉の泉」という言葉がある。泉は美しいものがあふれでる様子に例えられる。まさに今まで紹介した水に関する美しい言葉たちはこの泉から涌き出た日本文化の宝物のようなものではないだろうか。今日話したことから、水が私たちの文化やさらに思想にまでも深く関わっている大切な物質であるということに少しでも気付いてもらえたのなら、この時間には価値があったと思う。

 

((参考文献))

「自然のことのは」 構成・文、ネイチャー・プロ編集室(幻冬舎)
「増補 気象の事典」 (平凡社)
「源氏物語」 紫式部 (教科書より)

 

((Homepage))

“ビワズ通信”
http://www.biwa.ne.jp/~aquabiwa/biwazu/26/BIWAS26-2.pdf

 


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