栗山尚一先生講演会
〜21世紀まであと220日〜節目を迎えて学生に伝えたいもの

 今主催者の方から紹介してもらった栗山です。50分の前半は僕の個人的なの外交官をしての話ということで、わたくしの体験みたいなものを話したいと思います。これは気楽に聴いてください。あとの20分は少し硬くてまじめな話をします。これは少しまじめに 聴いてほしいと思います。ICUの学生であるみなさんに、わたくしがどういうことを期待しているかと言うことをお話したいというふうに思うので、これはちょっと硬い話ですけども、我慢して聴いてほしいと思います。

外交官になるまで
 まず、外交官としてのわたくしということですけれども、なぜ私が外交官になったかという動機なのですが、これは別に特別の使命感をもって外交官になったというわけでは、正直言ってないんです。今司会者の人から紹介がありましたけども、わたくしが外務省に入ったのは1954年です。これは歴史的に言えば、戦後日本が平和条約を結んで国際社会に適応したのが1952年ですから、それから2年しか経っていないわけですね。わたくしはまだ大学3年生だったんですけれども、外務省の試験を受けることにしたのは二つ理由があって、ひとつは大学を卒業しなくても外務省は試験さえ通ればとってくれるというほとんど唯一の就職先だったんですね。わたくしは大学ではあまり勉強しなかったものですから、大学3年の時点ではどうも卒業できるだけの単位がとれそうにない、ということで、卒業しなくてもとってくれる就職先はどこだ、それが外務省だったということが、ひとつの理由だった、というわけです。
父親は大変にリベラリストで、わたくしが外務省の試験を受けることには反対でですね、敗戦後の国家の外務省にやることはないよ、銀行に行け、と言うわけですね。当時銀行というのは、今でこそいろいろ社会的に批判を受けてですね、石原都知事の外形標準課税などが話題になっていますが、当時は日本の戦後復興に大きな役割を果たす機関として銀行というのは非常に安定した就職先として、学生は行きたがったんですね。しかし、わたくしは銀行に行ってお金を数えるのはどうも性に合わないと思って、一般的に公務員になることに関心がありました。私企業というのはあまり関心がなく、そして公務員にはなってみたいが、公務員のなかでも官庁を考えるとですね、外務省というのは一番私的で、自由な、つまりリベラルな雰囲気がある組織であるというふうな印象をもったんですね。これも父の話を聞いていて非常に父の影響があったんだな、と思うんですけれども、よその官庁が正直がんじがらめになって、あまり自由にものも言えないんじゃないか、外務省ならそういうこともないんじゃないかというふうに思って外務省の試験を受けて、そしたら通って、そして外務省に入って、それからほぼ42年、外務省に勤めることになったのです。これが、わたくしが外交官になった理由なんですね。入って40年外務省で過ごしたわけですが、結果的に見ると、最初に入りたいなときに考えた理由、外務省はリベラルな雰囲気がありそうだ、というのは実際に入ってみても感じて、選択としては間違いなかったな、と思ったわけです。

外交官時代
親日米関係派

わたくしが外務省に入って始めのうちは専ら経済の仕事をして、そして今で言うODAですね、当時まだ日本は戦後復興から間もない頃で、いわゆる開発途上国に対する経済援助というのが1960年代ようやく始まるんですが、その頃そういう仕事をやったり、外務省というところは、英語で言えばジェネラリストを育てるという方針があって、わたくしも6年くらい財務を扱う仕事を外でやっていたわけですけれども、その後、日米関係の仕事をすることになって、ワシントンの大使だとか、そういうところで日米関係の仕事をすることになりました。結果的にわたくしは外務省の生活の3分の2くらいはなんらかの形でアメリカに関係のある仕事をやる、ということになったわけです。
そのうちに外務省の内、外、特にマスコミの間で、わたくしは外務省のなかで親米派だ、という話があったんですね。それで92年に駐米大使として派遣されることになったときに、赴任前に外務省詰の新聞記者の方々から記者会見を受けるというのが恒例で、そこに行ったら、最初の質問が「親米派の大使が今度いよいよ駐米大使になったわけですが、心境はどうですか。」とこういう質問だったんです。わたくしは「親米派と呼ばれるのは好まない、わたくしは別に親米派ではなくて親日米関係派だ。」と言ったわけです。正直言うとわたくしはアメリカのことが大変好きなんですね。夫婦共々親日米派なんです。わたくしのワイフは、ICUの3期生ですけれども、わたくしのワイフがアメリカを好きになったのはどうやらICUで勉強してICUのリベラルアーツの教育を受けて、どうもその影響があるんじゃないかと思うんですけれども、彼女はアメリカのことが好きなんです。わたくしがアメリカのことを好きになったのは、外務省に入って、最初に外務省の、今でもありますけれども、在外研修、外務省に入りたてのわたくし達が、国費で2年間、3年間海外の大学で勉強させる、というのがあるんですけれども、わたくしの場合は英語ということでアメリカに2年行ったわけです。アメリカでは、自分で行きたい大学を選んで行くというのではなくて、大使館が勝手に大学を選んで、日本の外務省の研修生を受け入れてくれる小さな大学があるだろうか、と考えるわけです。研修生を送り込もうとしたのは日本人があまりいない、ハーバードとかコロンビアとかそういう大学では、日本人が受けて日本人ばっかり集まっていますので、そうではなく、日本人がいない、小さな大学を選んで手紙を出して、外務省の研修生を受け入れてくれるかと訊いて、受け入れます、と言ってくれた大学に研修生を送り込んだんです。そういうわけで、わたくしはアメリカ西部のローレンスという当時は学生が800人くらい、今は1500人くらいになっていますが、中西部では非常に知られた大学で、そこで1年間勉強して、その後東部の大学で勉強したんですけれども、いずれにしろ2年間アメリカのリベラルな教育を受けて、それがまぁ、わたくしがアメリカを好きになった理由なわけです。アメリカの学生は日本の学生とは対照的で、非常に多様性があって、またアメリカ人の、将来に対してチャレンジをしていく、未知の世界にチャレンジしていくという国民性、そういうものに惹かれて好きになったんですけれども、わたくしが外交官として日米関係を扱うこととこれは全く別の問題であるというふうに、わたくし自身は思っていたわけです。だから親米派だと言われることがわたくしにとっては心外だというわけです。わたくしは日本とアメリカとの関係というのは日本のために一番大切な関係だと思っているから日米関係が非常に重要だ、と考えていて、別にアメリカが好きだから重要だと考えているわけではないのです。要するに日米関係が重要か否かというのはアメリカが好きか嫌いかというのとは全く別問題である、というのが、わたくしが親米派ではなくて、親日米関係派だと言った理由だと新聞記者に言ったわけです。実は、このことは、その後アメリカへ行ってからアメリカのいろんなところで講演しましたけれども、そのときによくそういう話をしました。ただアメリカを好きだということと、わたくしの職業的なものの考え方とか基本的な信条というのは別だ、というんですけれども、しかし、外交官として、わたくしは後輩なんかに経験を訊かれてきたんですけれども、どんな国でも、のめり込んではいけないけれども相手の国を好きにならなきゃいけない、ということは言ってきましたし、私自身にもそういうふうに言い聞かせてきました。わたくしは1986年から87年までマレーシア大使でしたけれども、そのときマレーシアという国を非常に好きになりました。今日は時間がないので、なぜマレーシアが好きになったのか、という話はしませんけれども、いずれにしても外交官というのは仕事をやっていくうえで相手の国を理解しなければいけない。理解するには相手の国を嫌いだったら理解できないんですね。人間同士の関係でも言えることですけれども、相手を好きにならないで相手を理解するという人はいないわけです。ですから、わたくしはアメリカを好きだということは、結果的にはわたくしがアメリカのことを理解するうえで役に立ったというふうには思っているわけです。

外交官の資質・辞表を出す覚悟
わたくしがそういうわけで日米関係に非常に長く関わりあってきたんですけれども、わたくしの自慢話になるといやらしいので、これはあまり人には話していないのですが、わたくしが一番感激したのは、ワシントンでの仕事が終わって日本に帰るということになったときに、その1ヶ月前ですけれども、当時のアメリカの国務長官だったクリストファーという人がわたくしの送別のためのランチをやってくれました。国務省の食堂で、国務省の次官級の人、それからホワイトハウスの特別補佐官をしている人、を呼んでわたくしのための早めのランチをしてくれたわけです。先ほど自慢話をして申し訳ないと言ったわけですけれど、大使辞任の際に、送別のランチをやるなんてあまり例がないということを人から聞かされたんですね。それでわたくしは大変感謝したんですけれども、そのときに国務長官が親切な挨拶をしてくれました。同席していたホワイトハウスの安全保障問題担当の特別補佐官が、自分も一言言いたい、こういって話したことがあるんです。それは、イギリスの外交官で、ハロッズ・ニコルソンという人がいて、この人が1920年代、『外交(Dipromacy)』という本を書いたんです。これはおよそ外交官になるなら必ず読まなければならない必読書として言われているんですが、そのなかに、外交官というのはどういう資質をもっていなければならないか、ということが書かれているんです。よく言われているのは、外交官というのはいかに上手にウソをつくか、というのが外交官の資質だ言われるが、それは真っ赤なウソで、外交官というのは誠実でなければならないとか、その他にも、外交官としては忍耐心が必要だ、とか相手の国への忠誠心が必要だとか7つくらい外交官の条件を書いているわけです。その補佐官がこの本のことを言い出して、「この本の何ページに書いてある、外交官いうものが備えなければならない資質をあなたは備えている外交官だ。」というふうに言ってくれたんです。これは、半分はお世辞だとしても、全く100%お世辞だとも思えなかったわけです。仮に半分本当だったとしてもわたくしには大変な誉め言葉でありまして、4年間駐米大使をしていたときに、一生懸命やったわけですが、それを向こうが認めてくれたということを大変嬉しく思ったというわけです。
その後、外務省に研修所というところがあって、外務省を辞めてから頼まれてそこに行き、職業外交官の先輩として後輩にアドバイスがあれば、ということだったんですけれども、そのときに辞表出しの練習をしたんです。官僚の外交官の役割というのは何かというと、外交政策を決める政治家に対して、どういう選択肢があるかと、そのオプションを示すのが職業外交官の仕事だ、官僚が政策を決めてはいけない、政治家が政策を決めるのであって、官僚が政策を決めてはならないのです。ひとつの例をお話しますと、日米の経済摩擦が激しかったころですけれども、ある省の人が、相当偉い人ですけれども、アメリカの人に対して、「大臣といくら話してもダメなんだ、大臣はすぐにいなくなるんだ、本当に物事を解決したかったら私たち官僚と話をつけなければだめなんだ。」と言ったんです。 これは事実なんです。それでアメリカ側の人は大変びっくりしたわけです。日本の官僚は 傲慢だ、という評判がエピソードと共に広まった、これは結果的に非常に悪いことだったんですけれども、そういう考え方では民主主義の日本としての外交はできないと、わたくしは以前から思っていたのです。役人としての官僚は、先ほど言ったようにオプションを政治家に提示するのが役目なんです。もちろん意見はつけなければならない、もしくは自分の意見に反する決定を迫られたときには官僚はどうするか、それは、官僚は政治家が決めたことに誠実に従わなければならない、自分の考えと違うことを政治家が決定したからといって官僚がそれに反対をして、政策の執行をさぼる、そういうことがあってはいけない、そういうことは民主主義の国ではいけないいんだ、とわたくしは思っています。しかし、だからといって自分が本当にに正しいと、日本のためにこうあるべきだという選択を政治家がとらなかった場合にはどうするか、そういうときには辞表を出せばいいんだと、こういうことを後輩に話したわけです。
 もうひとつは、自分がこうだ、これが正しいと出した考えを政治家が選んだけれども、それが間違っていたことがあり得るわけです。そういうときには、辞表を出すべきなんです。官僚というのは政治家に対してアカウンタビリティーがある、説明責任がある、逆に政治家は国民に対してアカウンタビリティーがありますけれども、官僚はないんですね、国民に対しては。しかし、servantとして仕える政治家に対してはアカウンタビリティーがあるわけです。自分の意見を政治家が採用して、それが結果的に間違っており、日本の利益に非常な損害を与えたというようなことになったときには、潔く辞めるべきだ、というのがわたくしの考えだったわけです。
具体的には、湾岸戦争のときに、クウェートで200名以上の在留邦人がイラク軍に拘束されてしまったんです。それで、その在留邦人の安全を外務省としては、どうやって確保するかというのが外務省の非常に大きな課題だったわけですが、在留邦人をバグダッドに移したんです。バグダッドに移した途端に、イラクは在留邦人を、アメリカ人とか、ドイツ人とかみんな同じことになったんですけれども、拘束をして、そしてイラクの軍事施設に分散してしまったんですね。わたくしは当時外務次官でしたけれども、外務次官として、外務大臣、政務大臣と話をして、在留邦人をバグダッドに移すという決定をしてしまったわけです。この結果が今お話したようになったものですから、当然わたくしの責任はあるわけですね。それで、戦争になって在留邦人の命が失われるということにでもなれば、わたくしは外務大臣に辞表をださなければならない、そういう覚悟もあったわけです。幸いなことに、その後、事態が好転しまして、わたくし自身は辞表を出さないで済んだんですけれども、これはまぁ、ひとつの例です。せっかく試験を受けて(外交官に)なったのですから、簡単に辞表を出す必要はないと思いますが、どうしても、というときには辞表を潔く出す、というのが官僚としての外交官の心得であると、ずっと思っていました。
学生に伝えたい3つのこと
自分でものを考える人間になってほしい

 さぁ、わたくしの話はこんなところで、これからちょっと硬い話をします。わたくしがみなさんに何を伝えるか、ということなんですけれども、3つのことをみなさんにお伝えするわけです。ひとつは、自分でものを考える人間になってほしい、ということです。3つのことを話すと言いましたけど、わたくしは、ICUで勉強しているみなさんは他の大学で勉強している人と比べて、非常に有利な状況にあるのではないかと、実は思っているんです。自分でものを考える、というのはまさにリベラルアーツエデュケーションの本質だろうと思うんですが、要するに大学というのは、自分でものを考える術を身に付けるところなんです。先生の話とか教科書とか参考書、まぁ参考書には非常におもしろいものも多いですが、などはあくまでも参考に過ぎないわけで、自分でものを考えることをしない怠け者になってはいけないということです。それで、特にこれからの21世紀の日本、今回「21世紀、節目を迎えて学生に伝えたいこと」と非常におおげさなタイトルになっていますけれども、21世紀からどういう時代だ、と考えると、ますます自分で考える、人の言ったことに対しては常に疑問をもっている、批判的な精神でもって考える、ということなんです。戦後の日本というのは、みなさんの御両親とかその前の世代の方々になると思うんですが、あるものの考え方について一定の枠組みがあって、その線路の上をまっしぐらに走っていけばそれでよかったんです。日本全体もそれでよかったし、企業の中でも、どこに就職しても、決まった線路を走ればいい、脱線さえしなければいい、というのが戦後の50年の日本だったと思います。けれども、今の特徴というのはそういった線路が無くなって、新しい線路を敷かなければならない時代になってきたわけですから、その線路の上をただ走っているわけにはいかない、ということは、みんながそれぞれ自分で、これまでの既成観念、既成路線に対して批判する精神をもたなければならない、すなはち自分でものを考えるということが必要だ、というわけです。

外の世界に目を向けてほしい
2番目は、外の世界に目を向けてほしい、ということなんです。わたくし自身いろんなところで言っていることなんですけれども、ICUのみなさんにそういう話をする必要はあまりないんじゃないかと、いうふうに思うんですけれども、今、みなさんも知っていると思うんですけれども、グローバリゼーション、グローバル化と言われるんですね。グローバル化というのは何かと言うと、情報、経済、ものとかサービスとかお金とか、に関しては国境がなくなってしまう、ということなんです。これから21世紀になって、ますます進んでいくと思うんですが、そうなれば、当たり前のことなんですけれども、みなさんがどんな職業に就いてもですね、企業に勤める、あるいは自分で事業を始める、あるいは公務員になる、どんな仕事に就いても世界でどんなことが起こっているということに関心がなければ成功しないと思います。ですから、みなさん一人一人、自分の利益を考えて行動しながらも、社会は変わりつつある、今まで日本人だけで築いてきた日本人社会は、高齢化が進むことで労働力が不足してきて、そして外国から否応なしに労働力を得なければならない、それによって日本の社会はだんだん変わりつつあると意識をもってほしい、ということなんです。それはみなさんも知っていると思うんですが、今こそ経済が不況だから、みなさんも就職しようと思っても、なかなか就職先が見つからなくて苦労している方もこのなかにいるかと思うんですが、間もなくですね、そういう状況ではなくなると思います。80年代後半のバブルの時は、ほんとに労働力が足りないといって苦労したんですね。同じような時期が間もなく、21世紀になると来ると思います。そのときに一体日本の社会はどうなるのか、と考える必要があります。わたくしはいろんなところで、これから日本は「和」を国際化していかなければならないと言っています。「和」というのは平和の和ですけれども、「和をもって尊しとなす」というのは聖徳太子以来、日本の文化のひとつの大きな特徴だと言われています。それはそれでいいことなんですけれども、わたくしは、「和の国際化」というのは、どうも日本人が大切にしようと思っている場というのは、日本人の間だけの和じゃないだろうか、と思うわけなんです。日本人だけとか、あるいは企業のなか、あるいは一定のグループのなかだけで仲良くする、そのためにルールがあって、そのルールというのは仲間内だけで通用する、外の世界の人とは全く違う、そういうのが日本の社会の特徴なんじゃないのか、特に最近はそうではないか。ということでそういう「和」では、これからの社会ではいけない、もっと日本の社会を、単に経済的ばかりではなく、文化的にも、「和」というのが日本のなかの和だけではなくて、よその国の人、異なる文化、価値観を持っている人との間のものだと日本は考えなければならない、といろんなところで言っているわけです。そのためには日本人一人一人が外に向かって心を開いて関心をもち、そして違う文化、価値観をもっている人たちと仲良く付き合う、そういう人たちを排除しない、日本をそういう社会にするということを考えなければいけない、ということで、みなさんはたまたまICUというところで勉強しているわけですから、まさにそういうことを経験しているわけなので、その経験をこれからICUを出て、社会人になったときにICUで得た経験を大いに活かして頂きたいと思います。

「公」を意識する人間になってほしい
最後に三つ目ですけれども、わたくしは早稲田でも教えていてそこでも言っていることなんですけれども、"public"、「公」ということですが、この「公」を意識する人間になってほしい、ということです。「公」というと、みなさんが考えることは、国家とか政府とかですね、そして対比されるのが、「民」、民間という場合の「民」です。「公」というのは何かというと、今言ったように、政府とかそういった「公」ですね。しかし英語で"public"と言った場合に、みなさんもある程度はわかっていると思いますが、"public"というのは「国家」ではないんですね。個人がひとつの構成員となって作られた「社会」のことなんです。その社会をgovernするのが政府、governというのは統治、そして全体の国家をstateというわけですが、国家、governmentというのはpublicではないんですね。publicが支配そのもの、例えばpublic servant、公務員と言います、これは国家に仕える、政府に仕えるというのではなく、社会に仕えるのがpublic servantです。また、public interest、公共の利益と言われますけれども、「公共」というのは国の利益でも、政府の利益でもないわけですね。それは人間の集団である社会の利益であるはずなんです。そういう概念が日本では希薄なのではないか、これが日本の民主主義を弱くしているのではないか、と思うんです。国家の利益、政府の利益とか考えると、非常に物事が誤って考えられると思います。ですから、自分の利益、権利を考えるときには同時に、同じ社会のメンバーである他の人の利益とか権利も、自分の利益、権利と同じように尊重しなければならないんだ、というのがpublicの概念の本質であると、わたくしは思っています。ですから、どうもそのことが今の日本社会には抜けている、従ってそういうpublicの意識がないから例えば、今日本では警察や企業の不祥事が多くて、事件が絶えませんが、なぜそういうことが起こるのか、と考えてみれば、publicの概念というものが日本には育っていない、そのために国家とか政府とかいうものもprivateの利益を追求するようになってしまっているのではないか、と思います。ですから、これからの日本の社会を健全にし、民主主義を強いものにしていくためにはやはり、国民一人一人がpublicというものを意識して、そしてpublicを構成している一員としての意識をもっていくことが大切だと思うし、わたくし自身みなさんにも是非そういう人間になっていただきたいし、ICUで勉強している間にそういうことを是非よく考えていただきたい、と最後にお話して終わりたいと思います。

 どうもありがとうございました。