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International Christian University
21世紀COEプログラム: 「平和・安全・共生」 研究教育

COE拠点リーダー: 村上陽一郎

 文明の進展と、社会が悩まされる疾病との間には、顕著な相関があるという。文明の初期には、社会の成員の多くが消化器系感染症で失われる。第二期になると、呼吸器系感染症が猛威を振るう。この移行は、医療の発達もさることながら、社会のインフラストラクチュアの整備に依拠しているが、工場制労働や、労働者の労働環境、あるいは生活環境が、肺結核を主とする呼吸器系感染症を蔓延させる。それが克服されると、第三期には生活習慣病が主役となる。生活習慣病は遺伝的要素と文明的生活の個人史との相乗効果によって発症する。そして第四期には、社会の多くの成員が、社会との不適合に悩み、自死などに走るようになる。例えば日本の社会は今第三期から第四期に移行中と考えられる。人々は、社会の中での自分の意味と場所に自覚を持てず、苦しむことになる。これは文明社会の抱える内なる病弊である。
 さらに文明社会では、個人の機能は多くが外部化される。教育、社会福祉からゴミだしまで、従来個人の責任で行われてきたことが、外部の社会制度に委託されざるを得なくなっている。その一方で、個人は「自己責任」ということを強く問われる。行政や権力機構のパターナリズムと個人の自己責任との間の緊張にも、社会の成員にとって、構造的不安の源泉の一つがある。
 国際社会に視点を移してみると、冷戦の終結後、世界大戦の危機は確かに去った。しかし、各地の地域紛争、民族紛争は終わらない。冷戦下に無秩序に拡散した小型兵器は、放置される対人地雷などとともに、世界的な規模の不安を醸成する。9.11同時多発テロは、その発展的な延長上にあるとも考えられる。権力と富における南北間、さらには南々間の構造的格差の問題は、緩和されるどころか、深刻さを増している。これらの摩擦は、「文明の衝突」の一言で括られるものではないかもしれないが、しかし、文明の進展に由来するひずみであることは確かであると同時に、文明が、多元的文化や宗教理念の共生を損なう方向に動いてきていることの証でもある。
 さらに文明がもたらす地球環境上の問題もまた、ゆるがせにはできない。二酸化炭素問題にせよ、オゾンホールにせよ、砂漠化にせよ、あるいは酸性雨にせよ、そこには個々に解決すべき問題があると同時に、文明の社会システム全体の問題でもあり、また共時的だけではなく継時的、つまり世代を超えた多元的人類の共生の基盤が失われていることの結果でもある。
 このように考えてみると、現代文明社会の存在が、生活環境の向上に寄与したことは認めつつも、地球全体にとっても、また文明社会そのものにとっても、さまざまな危機と不安の原因となっており、それが、過去の人類の歴史が経験したことのなかった、新しい問題を生み出していることに気づかされる。とくに、問題の予防的な回避と同時に、多くの不安と危機とを抱え込んで苦闘する人々の側に立ちながら、それらを一つ一つ解消するために何ができるか、という点に具体的な方策を見つけ、かつ実行しなければならない。そうした方策は、社会制度づくり、コミュニティづくりから、医療制度、教育による意識改革まで、そのフロントは広大なものになる。ここに「平和・安全・共生」研究教育を提案するゆえんである。
 ここで求められるのは、そうした新しい問題に立ち向かうための総合的なグランド・セオリーの構築であり、そこから導き出されるべき個々の問題に対する具体的な政策の提言である。この「平和・安全・共生」研究教育という課題に挑戦するためには、ほとんど大学の総力を傾注させなければならないと思われるが、グランド・セオリーの構築というトップダウン的な方法と、個々の現場から立ち上げるボトムアップの手法とを併用することによって、内在的な隘路を克服する道を探りたいと考えている。既存の領域の研究者が自らの領域に立脚した調査・研究を持ち寄り、しかしそれだけで満足することなく、総合的な課題に立ち向かうという両面の戦略が、どうしても必要になる。本学大学院においては、行政学(社会科学)、教育学、理学(自然科学)、比較文化(人文科学)という研究科の並立の現状は、それらの間の緊密な連携の可能性を保証しており、それこそ、上述の課題を達成するための最もふさわしい研究環境であると言うべきであろう。