人間と地球環境の安全保障

松下和夫

京都大学地球環境学堂教授

 

<報告レジュメ>

 

人間安全保障論の登場

              人間の安全保障 (UNDP「人間開発報告」1994年)

              人間の安全保障委員会報告 20035

              開発と安全保障の並行関係

              開発・安全保障パラダイム

 

環境の安全保障

              人間の安全保障確保のための環境安全保障

              気候変動問題を例として

              IPCC第三次報告書(200110月)

              続発する異常気象

              大規模自然災害(1950年〜2004年)

              台風18号の経路(20049月)

              ヒマラヤの氷河の融解

              予想される急激な気温変化

              気候変動の含意

 

平和のための環境協力の可能性

 

平和構築への環境協力

 

まとめ

● 開発・安全保障パラダイムの再考

● 人間の安全保障の基盤としての環境安全保障

● 平和のための環境協力と戦略的外交

● 国際環境協力枠組構築への貢献

● 国際協力と技術移転:京都メカニズム

● 温暖化への適応策の重要性

● 温暖化影響への脆弱な途上国への協力

● 東アジア環境共同体(参照例として:北米環境協力協定)

 

 

<全体討論>

 

上杉

環境や環境保全という概念を使用した場合と、環境安全保障という概念を使用した場合、具体的にどう対策が変わってくるのか。また環境のほうが紛争よりも大きな脅威となるという認識があるが、平和構築という小さいところに焦点をしぼることにどのような意味があるのか。さらに平和のための環境協力と戦略的外交について日本がやるとすれば、どういう戦略が可能か。最後に気候変動対策と災害対策を統合で考えるというアプローチは、環境安全保障という新しい概念とどうリンクするのか。

松下

環境問題を安全保障と関連付けて議論することには、賛成論と反対論がある。環境問題は環境問題として独自の論理として対応すべきだという考えが一方にあり、他方にハイポリティックスとしてリンクさせることで、環境問題のプライオリティがあがるという考えもある。環境安全保障概念がアメリカから生まれた背景として、当時、軍事産業の縮小が予見され、軍事部門が持っているノウハウ(衛星監視など)を環境に転用したいという思惑もあった。環境安全保障概念を提起することによる具体的な違いを示すことは難しいが、我が国の外交は「人間の安全保障」を提唱しており、「人間の安全保障」の根底には環境安全保障が必要だと考えている。アジアに対する協力の強化は必要で、これが戦略的外交につながるのではないか。

坂根

環境の安全保障についての事例として気候変動がとりあげられたが、気候変動と他の環境問題の共通性もしくは特殊性はどこにあるのか。

松下

気候変動を例としてあげたのは、自分が関わっているため、さらに気候変動問題が環境問題のなかで一番大きくあらゆる分野に関わっているからである。気候変動問題と他の問題の共通性もしくは特殊性だが、紛争を起こしうるという点で水の問題などと同じである。また被害が起きるのは階層的に貧しい層もしくは途上国であるという点でも他の環境問題と同じである。環境安全保障においては枠組み構築が重要であるが、読み方によっては相互に利益がある枠組みが構築しうるのではないか。技術や資金の提供がわが国では評価されているが、枠組み構築においてもっとリーダーシップを発揮していくべきではないか。

功刀

具体的な枠組み構築として考えているのはどのようなものか。

松下

東アジア経済協力共同体などが可能性として考えられる。環境分野では、すでにいくつかの試みが行われている。ESCAPが5年に1度、個別問題において会合しているなどが例だ。

高橋

環境安全保障を、イデオロギー性および今の国際政治の2極構造において考えたい。人間の安全保障概念および地球の安全保障概念の背景はアメリカ抜きでは考えらない。94年に人間の安全保障という概念を打ち出した報告書を作ったのは、人間開発報告書について批判的な米国に対する対米政策という面が顕著だった。ジェシカの89年の論文は、アメリカにおいて民主党独自のアジェンダが必要であったために書かれた。このような経緯をふまえ、これらの概念は極めてイデオロギー的になったという感じをうける。なぜなら人間開発報告書、延長線上の人間の安全保障論、それとリンクとしての地球環境の安全保障論、これらは一貫して内政干渉を正当化しようというものだ。これらの概念が、内政干渉の正当化に見合うだけのものを提供しているのかどうか。何らかの歯止めが必要だと思うが、何がそれに該当しうるのか。

松下

ご指摘は理解できる。各国がそれぞれ最適な政策をとるという前提にたっても、環境問題は解決出来ない。グローバリゼーションの一方で、企業は各国の管轄をこえて活動している。その一方で、環境劣化、地域社会の崩壊を止めなくてはならない。ひとつは、ひとつひとつ合意をとりつけ、各国の管轄で実施する国際協定のすみわけが必要だと考える。他方で、グローバル化の負の影響に対する自らの抵抗力を高める枠組みがグローバルな平面のみならずローカルな平面でも必要だと考えている。内政干渉については、リベラルなリリージョナリズムで主権の一部を預ける一方、地方分権で補完原理を実行することが重要だと思う。

高橋

なぜ環境問題と安全保障と結び付けなければならないのか、関係はあると思うが、そこがわからない。途上国の紛争の80%ぐらいは自然資源をめぐる内部抗争で、環境紛争とみなすことも可能だ。安全保障とも関係あるにちがいないが、安易にいうとあやしげにもなる。気になる点だ。

功刀

世界規模での環境問題、地域規模での環境問題、両方あることも留意すべきではないか。

高橋

それが分けられないのが問題だ。簡単に整理できない。非常に難しい問題だと思う。

功刀

松下先生の選んだスコープはわかりやすかったが、環境という言葉の意味を狭く捉えているのではないか。ジャレド・ダイアモンドの「文明崩壊」という本では、資源の使い方による文明の崩壊の過程をとりあげている。資源の保全と環境保全は中長期的に不可分である。

広中

人間の安全保障概念は、アメリカだけでなく皆に響くものだろう。地球環境問題を浸透させるには内政干渉しかないと、むしろポジティブにとらえて地球全体を良くするべきではないだろうか。

久山

異常気象は気候変動の直接の原因ではないと気象学者が主張するのは、理論的以外の根拠があるのか。

松下

科学者たちは直接の原因と断定することはできないと主張している。

上村

開発・安全保障パラダイムとして内発的発展と構造調整が並べられているが、この分類についてご説明いただきたい。また東アジア環境共同体、東アジア循環ビジョン、GPPAC (Global Partnership for Prevention of Armed Conflict)、平和東アジア、これらが一緒になる可能性はについてご意見をうかがいたい。

松下

最初の質問だが、構造調整と内政的発展は全く違う概念なので、次回までに整理したい。

吉岡

二番目の質問だが、可能性はあるのではないか。GPPACはは紛争に関する市民の枠組みで国連も関わっている。東北アジアでは環境分野のNGOだけは活発に活動しているため、環境問題であればNGOのネットワークは作りやすい状況にあるといえる。

橋本

森林については、先生のおっしゃった枠組みにおいては、企業の役割が重要になってくると思う。例えば、インドネシアやロシアでは、200万ヘクタールを企業が管理する。そのような中で違法伐採に取り組む実行力を持っているのは伐採企業だけだ。さらに日本企業が違法な現地企業からは買わないというメッセージを出すといい圧力になる。

久保田

NAFTAにおける北米環境協力委員会が環境への取り組みとして取り上げられていたが、現在、NAFTAと環境という文脈においては、投資に関する11章のもとでの仲裁手続もかなりの注目を集めている。11章仲裁手続におけるいくつかの事例においては私人である投資家によって、政府が環境措置であると主張する措置についてNAFTA違反が訴えられており、これらの仲裁を環境対投資という文脈でとらえている人は多い。

中村

コメントだが、高橋先生がおっしゃった問題は非常に重要で、国連自身が内政干渉を禁じた憲章と矛盾したことをやろうとしており、これは大きな流れとなっている。環境協力や災害協力と内政干渉のからみは大変難しい。

百瀬

環境問題と安全保障をリンクさせることの危険性はどの程度意識されているのか。

松下

安全保障は錦の御旗のようなところがある。現在、途上国は地球温暖化の交渉において温暖化対策という名目で開発に対する制約が課されることを危惧している。ここは慎重にやるべきではないか。トップダウンでは駄目だと思う。

百瀬

ときには環境を痛めるような開発もやむをえないという考えもあるということか。

松下

状況に応じて誰にとっての環境かを考えなくてはならないだろう。

 

(司会:功刀達朗  記録:久保田有香)