転換期における国連のアイデンティティ・クライシス
ICU・COE/UNU‐IAS客員教授 功刀達朗
《 報告レジュメ 》
はじめに
·
“A crisis is unfolding at the UN” – UN Wire
·
歴史的変動に際して起るアイデンティティ(独自性・主体性)の動揺・喪失にどう対処するか
·
新世紀のUNづくりのためのパラダイム・シフトの必要
1.
決定的インパクトの機会をのがしたカナダのWaterloo Conference, April 05
·
Jean Ping総会議長の努力とLloyd Axworthyの“brown bag”
speech
·
Kofi Annanの勧告とOutcome Documentのギャップ
2.
特記すべき2つの報告書
·
The Responsibility to Protect (Dec. 2001) ― 国際法の基本原則への挑戦
·
Cardoso
Report (June 2004) – Omni-governmentalからmulticonstituency network organizationへ
3.
国連のパラダイム転換の要件
·
Public engagement
·
国連と市民社会のリーダーシップ
·
市民社会組織(殊に国際NGO)の指導理念とストラテジーの新しい傾向
― グローバル・ガバナンスを「過程」と捉える
― 多元的・多アクターのネットワーク政策空間を拡げる
― 時間認識と共時的、通時的対処
4.
まとめ ― 国連その他の国際組織の地平
-------------------------------------
References:
·
Paul Heinbecker &
Patricia Goff (eds.), Irrelevant or
Indispensable (Wilfrid Laurier U. Press, 2005)
·
Lloyd Axworthy, Navigating a New World ―
Canada’s Global Future (Knopf Canada, 2003)
·
Akira Iriye, Global Community ― The
Role of International Organizations in the Making of the Contemporary World (U.
of
·
『国際NGOが世界を変える』功刀・毛利(編著)『国連と地球市民社会の地平』功刀・内田(編著)(東信堂2006)
·
United
Nations-Civil Society Partnerships: Report of the 3rd
《 全体討論 》
内田:「国連」と「転換」という共通のキーワードで高橋先生と功刀先生にお話いただいた。お二人ともカルドーソ報告に言及され、市民社会、NGOに非常に大きな重点を置かれていた。最初に、高橋先生の報告についてコメントしたいと思う。
高橋先生には、歴史的に長期にわたる国連の変遷をユニークな視点からお話いただいた。第一に、国連の活動の中でフィールドの役割が重要だという点には賛同するが、少なくとも国連の開発分野の領域では、70年代の初めからフィールドでのオペレーションが重要視されてきたのではないか。なぜ、最近になって再びフィールドが重要な問題となったのか。
第二に、グローバル・ガバナンスの概念や理論が大きく変わってきているということはおっしゃる通りであろう。そもそも「ガバナンス」は、国レベルで出てきた考え方である。国レベルからグローバルレベルとなり、また現在では、アジア地域やアフリカのサハラ以南の問題を扱うなど、リージョナル・ガバナンスという考え方も強くなってきている。しかし、実際のオペレーションは、高橋先生のおっしゃるようにフィールドレベルで行われているであろう。
第三に、最初にこのワークショップの案内をいただいたときの高橋先生の報告タイトルは「第三の国連」だったはずだが、今回配られたレジュメでは、「第一の国連」という表記に変わっている。本来あるべき形の国連という意味で「第一」なのか。つまり、第一の国連(事務局)の中で、ニューヨークとフィールドに分け、軸足をフィールドに置いたものがここでいう「第一の国連」なのか。
第四に、改革をどこまで進めれば、新たな国連となるのか。大枠を変えることなく、多様な機構改革を行えば、新しい国連というイメージができるのか。
功刀報告では、国連のパラダイム転換という、より大きな変換が必要であるという印象を受けた。民衆の参加や、彼らを代表する市民社会のリーダーと国連との提携によってはじめて国連のパラダイム転換が起こるという点は、高橋報告との接点になろう。
第一に、功刀報告のテーマである、アイデンティティ・クライシスについてであるが、「国連のアイデンティティ」というとき、誰のもっているアイデンティティかを確定しなければならないだろう。第一の国連ならばそれを代表する事務総長のアイデンティティであろうし、または、加盟国のもっているアイデンティティかもしれない。アイデンティティというよりもむしろ、パーセプションがどうなっているかということではないかと思う。誰のもっているアイデンティティが危機に瀕しているのか。私は、加盟国の国連に対するパーセプションはそれほど大きく変化していないのではないかと思う。むしろ、国連の事務局や国連を支援する研究者や活動家が危機感を抱いているのではないか。
第二に、レジュメに「特記すべき2つの報告書」として挙げられている「保護する責任(The Responsibility to Protect)」は、国際法の基本原則や主権に対する大きな挑戦であると説明されたが、「保護する責任」がそのような意味で挑戦的だとは思えない。コフィ・アナンが1999年の論文の中で提起した個人の主権と国家の主権という概念は、同年のコソボや東ティモール問題のように、今までの国家主権の概念だけでは国際的な危機状況に対応できないということを表している。つまり、これは、個人の主権を重視し、人道的な介入をする場合にはどのような基準が必要かという問題提起をしたものであり、それに対する答えが「保護する責任」という報告書の一つになったのである。国際法の基本原則に対する挑戦という意味では、むしろ、ブッシュの「先制攻撃」の方がより大きな挑戦といえるのではないか。人道問題やジェノサイドに対して国際社会が介入する責任を主張することは、ブッシュが国際法に対して行っている挑戦より低いレベルの挑戦だと思われる。
第三に、カルドーソ報告は、注目されたにもかかわらず、30もある勧告のほとんどが無視されている。昨年ウォータールーで開催された会議の成果文書とコフィ・アナンの勧告とのギャップは、国際社会やそれを代表する国連事務局が展望する多様な処方箋と、加盟国が許容する措置という現実政治とのギャップを反映したものであろう。このような状況をいかにして克服するかという点が本日の報告者たちの意図であり、今後の課題でもある。多様なアクターのネットワークという点が重要なのであろう。
国際連盟の資料の中に、連盟の初代事務総長であるエリック・ドラモンドと、ILOの初代事務局長のアルベール・トーマのリーダーシップを比較したものがある。非活動的なドラモンドと活動的なトーマという、両者のリーダー像が異なる理由のひとつは、ILOでは、政府のみが代表なのではなく、三者構成であった点にある。それゆえ、トーマは、複雑な加盟国の構成を上手く利用し、政府だけに働きかけるのではなく、労働者や雇用者の代表を操作して、自分の発言をバックアップさせることができた。一方ドラモンドには、国家しかなく、そこでは事務総長のリーダーシップは非常に制限されていた。パーソナリティの問題だけでなく、機構自体の問題でもあるのだ。この点は、現代の国連をめぐる問題の展望につながる。市民社会や民間セクターなど、非国家アクターを抱きこむ現代の国連には、国家を越えるネットワークの構成のもとで強いリーダーシップを発揮する余地があるのではないか。フィールドからネットワークを通じた国連、とくに事務総長のリーダーシップという点に関して、我々は連盟時代から歴史的な教訓を得ることができるのではないだろうか。
久山:現在のILOの理事もパワフルである。また、将来の国連のパラダイム転換にとっても、非国家アクターが含まれることで、事務総長の権限が強まることは重要であろう。
高橋先生のおっしゃるフィールドの重要性はよく分かるが、国連の役割を考えた場合、政策決定やノーム・セッティングとオペレーションは不可分である。国連本部だけでなく、UNDPなどの実態を見ても、さまざまな政策が決められ、それに基づいて活動している。一番大事なことは、どういう政策、ノームをつくるかということではないのか。したがって、政策が政府の代表だけで作られているのが問題であって、いかに非国家アクターの見解も取り入れた形で望ましい政策を作っていくか、ということが大きな課題である。そのように考えると、功刀先生のおっしゃるパラダイム転換の中身が、政策過程およびオペレーション段階で非国家アクターを包含することになるのは当然かつ重要なことである。
長谷川:第一に、フィールドのオペレーションが大事だということについては、ILOでも議論されているが、フィールドにおける活動の政策決定をどこが行うのか。例えば、ILOでは、ある国における活動のプライオリティを定め、カントリープログラムを作っていくべきだという議論をしているが、それは、どこが行うのか。フィールドでその国の政府と話し合って作成するのか、それともILO本部が主導するのか。オペレーションよりも、この点が重要になるということが議論されている。フィールドでどこまで政策決定ができるのか伺いたい。
第二に、アイデンティティ・クライシスというとき、国連やILOには、国との間にネットワークを持てるという点で比較優位がある。しかし、ILOの構成の中に国際NGOは入っていない。それゆえ、意思決定機構に入っている労使と、国際NGOとの間の関係をどうするかが、議論されている。また、これに関連する発展途上国の見解も問題になっている。数年前、マハティールがILOに来たとき、国際NGOを先進国の手先であるとして非難した。それゆえ、国際NGOの位置づけが気になっている。果して包括的に国際NGOと呼んでいいのかどうかが議論になってくるのではないか。
庄司:第一に、高橋先生はフィールドの重視を強調されたが、国連暫定行政組織は、冷戦後の東ティモールやカンボジアにはかなりコミットできたが、21世紀以降のアフガンやイラクには、お膳立てをしてもほとんどフィールドには出て行かない傾向がある。これについてはどうお考えか。第二に、功刀先生のおっしゃる時間のパラダイム転換についてもう少し教えてほしい。第三に、内田先生は、“The Responsibility to Protect”は、国際法の基本原則に対する大きな挑戦ではないとおっしゃったが、私は、国際責任や安全保障の考え方に大きなインパクトを与えたのではないかと思う。
高橋:まず、内田先生からのご質問に答える。第一に、この3月の事務総長の報告書などで、どうして今頃フィールドを重視しているのかという点に関して。国連平和構築委員会が設立されたことによって、改めて、平和安全保障と経済社会とが一致した形でフィールドにおける活動が進んでいる姿が見えてきた。それゆえ、さらにそれを強化するというニーズも明確になってきたからである。
第二に、ガバナンスに関して。このことばが89年に最初に出てきたというのはその通りである。その経緯であるが、79年にアメリカのDAC代表が、もしも冷戦が終結したら、アメリカの援助をすべて民主化に使いたいという提案をした。これに対し、北欧は、援助はそもそも主権侵害であるので、我々はそのアーキテクチャーを注意深く作ってきたのだと言って、アメリカの提案に強く反対した。DACの90年代の作業計画を作る89年の段階で、カナダは、自国の憲法前文を引用し、「ガバナンス」ということばを、アメリカと北欧の主張をつなぐものとして提唱した。これによって、北欧諸国は、汚職を回避するために行政機能の強化が最低限必要であると強調し、アメリカは民主化を強調し、ガバナンスということばは、DACではじめて採用された。また、ガバナンスは、世銀によるアフリカ援助の失敗を覆い隠すためにも使用され、主流のコンセプトとなった。そして、これが「グローバル・ガバナンス」になると、北欧とアメリカの主張した二重の意味があいまいになり、いろいろな分野で応用された。しかし、国レベルの話になると、この二重の意味が依然としてついて回る。それゆえ、フィールド・オペレーションの重要さということを議論する段階でも、この問題が付きまとう。
第三に、「第三の国連」と「第一の国連」が何かというご質問に関してだが、時系列で第三、重要性で第一である。
第四に、どこまで改革が進むと意味があるのかという点だが、基本的に二つあると思う。一つは、国連全体のオペレーションがそれぞれのフィールドからのレポーティングの権限を与えられて、その内容をもとに政府間の作業、事務局(本部)での作業が行われるようなシステムになることである。今は、フィールドから国連本部にレポートするのはその国の国連代表の仕事であり、国連の出先の仕事ではない。それゆえ、フィールド・オペレーションの実態がうまく反映されていない。二つめは、フィールド全体を通して、多様なタイプのアクターたちによるネットワークが中心の国連のオペレーションになっていくことである。また、事務総長の機能もその一環として存在する形になること。これらが改革の非常に明確な方向だといえる。
久山先生のノーム・セッティングとそのオペレーションに関するご質問に答える。現在の国際社会は、分権化構造をもち、国連の個々の機関の理事会や総会が決定した政策を執行するのがオペレーションであるという形にはなっていないのではないか。政府間プロセスにおいて決定できることは妥協の産物であり、きわめて漠然としている。それゆえ、イニス・クロードは、インタープリテーション権能を行使する事務局の強さを「第一国連」として表現した。このことは、オペレーションに対するガイドラインをインターガバメンタル・ボディが決定していくときにも当てはまる。具体的なことに関して、インターガバメンタル・ボディの決定が拘束できることは少ない。誰が政策決定を行うのかという長谷川さんのご指摘にも関係するが、詳細な政策を中心から出すことはできない。幅広いガイドラインになってしまう。それゆえ、ILOならば、現地のILOの代表者と現地国の労働省との交渉に多くを任せざるをえない。この形が一番はっきりしているのが、世銀の現地化(decentralization)である。借款契約(Loan Agreement)の提案を理事会にする権限を各フィールドオフィスのディレクターに任せてしまったが、それがかなりきちんと機能している。
庄司先生が指摘されたように、暫定行政組織は90年代に大きな活動をしてしまったため、21世紀の活動は小規模な方向に変質してきているのではないかという点には同意する。しかし、21世紀のかなり大きなオペレーションとして東ティモールの先例がある。また、プラグマティズムに基づき、それぞれの時点のニーズに対応することが圧倒的に多い。状況が必要とすれば、大きなオペレーションに関しても、先例があるので対応しやすくなっていると思う。
庄司:現地化は、突き詰めると、国連ではやりきれないことを現地の人々にまかせる形とも解釈できるのではないか。
高橋:そこには、もっとニュアンスがある。一挙に現地の人にまかせる段階は引き延ばされていると思う。いろいろな形で介入をつづけるが、できるだけ早く撤退したいという姿勢はある。そこに原則があるとすれば、プラグマティズムしかないのではないか。プラグマティズムの判断のもとに状況が必要とすれば、大きなオペレーションも行うことになるだろう。
功刀:高橋先生が報告されたように、フィールドが重要だという考えは昔からあり、現実に近づいてきた。庄司先生のおっしゃったことも現実に近い。国連の資源は限られており、政策はあっても徹底することができない。多様なアクターがフィールドで協力し合うことが現実的である。その際、本部とフィールドの間だけでなく、関係するマルティ・ステークホールダーズが協力しながらガバナンスを行う方が実効的である。国連はコンビーナーとして重要であり、政策決定は国連が行う。これを効果的に実施することも不可分である。
これまでの国連による一番大きな成果は、脱植民地化であった。国連によるノーム・セッティングは重要な役割である。武力行使や人権・人道法、南北問題、社会的格差の問題などにも大きな役割を果した。フィールドも重要だが、ノーマティヴ・ファンクションが弱まることはないし、不可分の関係にあると思う。
高橋:「べき」論で行う議論と、現実がどうかという議論は、分けて考えるべきである。
功刀:「第一」「第二」「第三」の国連というが、国連の一部は変わってきたとしても、本体はほとんど変わっていないかもしれない。時系列的に「第三の国連」として重要視されてきたものは、国連自体がいずれ変容する一つの形を示している。三つ目の国連があるというのではなく、それは、すでに国連が有している要素の一部であって、そこに加わったのは、国連以外のアクターが重要な役割を果すにいたっているという点である。そして、国連自体がその方向に変容していくであろうというのが私の主張である。
ブレトンウッズ機構ができたときのケインズのアイデアは、国連が中心になって世界の経済金融政策を決定し、専門機関がそれを実施していくというものであった。ポリシー・ファンクションは総会に任せるべきだというこのアイデアは、国連自体が資金を持たなかったために、実現しなかった。69年のジャクソン報告の提案が実現されなかったのも同様の原因による。政策の実施に関してセントラル・コントロールがないという点は、国連開発システム全体にわたる問題である。
誰のアイデンティティかという内田先生のご質問に関してだが、「国連のアイデンティティ・クライシス」とは、国連全体のアイデンティティ・クライシスのことである。この場合の「アイデンティティ」は心理的なものではなく、世界における国連自体の主体性や独自性を示している。世界において国連がどのような役割を果しているか、という意味でのアイデンティティであり、どういう方向にそのアイデンティティが機能しているかということが問題なのである。
また、アメリカのブッシュ政権の姿勢は、国際法に対する挑戦ではあるが、昔からアメリカの態度は同様であり、パラダイムの転換を招くような挑戦だとは思わない。
坂根:功刀先生に伺いたい。市民社会、とくに国際NGOやプライベート・セクターとの協力というと、知恵や人、情報、リソース(資金)を出すということが考えられる。ユニセフには、非国家アクターからのコントリビューションが多いが、国連には少ない。民間なり、個人なりから、いかにリソースを得やすくするかというスキームが必要だと思う。その課題も含めてご教示願いたい。
高橋先生に伺いたいこととして、第一に、近年フィールドが注目されている要因には、フィールドでの不祥事や任務遂行にあたってのセキュリティの問題、コストなども挙げられるのではないか。
第二に、規範論としてのグローバル・ガバナンスからオペレーションとしてのグローバル・ガバナンスへと、その必要性が認識されるようになったのは、国連による破綻国家への対応が必要になったためでもあるのではないか。
第三に、分権(decentralization)という場合、権限、予算、人員、情報の委譲が考えられるが、どのような面で行われるのか。また分権をする際に気をつけることは何か。権限を委譲するだけでなく、オーバーサイト機能も重要だと思う。
藤田:第一に、現在の東ティモールは非常に荒れており、他のアジア地域においても紛争がぶり返している。さまざまな紛争に対する諸々の組み立てを国連がどのように構築するのか。平和構築に関して抜本的な見直しや組み立てが必要だろう。それについてのコメントをいただきたい。
第二に、日本政府くらい他のステークホールダーとかけ離れて、独自に国連にアプローチする国はない。日本の議員は国連本部に出向き、政策に関するやり取りを行っていない。部分的にはいろいろな機関に関わりお金を出していくが、日本の他のステークホールダーが国連とのやりとりを通して政策立案するプロセスが欠けていることが大きな問題だと思う。これを克服することが必要だろう。
久山:高橋先生への返答である。政府間では細かいポリシーを作ることはできないが、オペレーションを行うにはマンデートが必要である。したがって、幅広い政策決定は重要である。プラグマティズムだけでオペレーションをすればいいというわけにはいかないだろう。
高橋:最後の久山先生のご指摘はその通りだと思うが、国際社会は、国内におけるように、政策決定から執行までの体系が上手く機能する状況とは異なる。その差はかなり大きい。
そのことに関連して、坂根さんのご質問である「分権」ということばについて明確にしたい。私が国際社会の分権化構造というとき、国際社会において主権国家が並列しているという意味で分権化ということばを使っている。それぞれの国の内部で地方自治体に権限が委譲されている状況とは全く異なる意味で使用した。その他に坂根さんがご指摘なさったことは、確かに意味のあることだと思う。
藤田先生の挙げた二つの点は、ともに非常に大きな問題であると思う。第一に、アジア諸国がそれぞれ異なった形で荒れている中で、それらをどの程度国際社会の課題として提起するか、それとも、できるだけそれぞれの地域で解決するかということに関しては、それぞれの地域における支配的なパワーが明確な認識とともに行動するかどうかという点が重要になる。アジアの場合、この地域をどのように運営するかというパターンができていない。このような状況の中で、既存の組織はどのような役割を果せるだろうか。政府には任せられない。それゆえ、このような問題に関するシンクタンクやNGO等々を含めたネットワークを作り、共通の認識を形成して国連に直接働きかけるという姿がひとつのあり方ではないだろうか。そうでなければ、アジアでは、この地域を取り仕切る国家が認知されていないので、非常に危険である。
第二に、日本政府の国連へのアプローチは、一行政府だけが行っていることなので力不足である。国連の場も含めた多様なレベルで、他の国のさまざまなアクターとの協力関係を視野においてアクティブに活動していくことが大事である。
功刀:藤田さんの挙げた点は重要な問題である。武装解除はうまく進んでいない。PKOは、年間50億ドルを使っているが、国連の通常予算が約13億ドルであるのに比べると額が大きいにもかかわらずうまく機能していない。従来の軍に頼った方式が間違っているとすれば、オルタナティヴは何だろうか。宗教の重要性や人と人との対話・和解を中心にすることなどを挙げることができる。プライベート・セクターは、紛争を助長するなど悪いことをするが、関係している市民が主体的に活動することが解決につながる例がかなりある。国連のやり方そのものを変える必要があり、これはパラダイム・シフトの問題でもある。
昨年の8月30日に、ピースボートなど三つのNGOが外務省に働きかけ、UNポリシーについてのパブリック・フォーラムが開催された。今年の2月にも開催し、外務省は非常に協力的であった。このようなことは、国民的なレベルで広げていくべきことだと思うが、国会議員は外交に無関心である。他国では、市民社会が外交に働きかけることは多く行われている。
また、ILOは三者構成であるが、市民社会をはずしており、時代遅れである。労働代表はNGOが嫌いである。このような状況を基本的に変える時期に来ている。IUCNやUNAIDSのように、関心をもち、コントリビュートするアクターが構成するマルティ・ステークホールダーのスキームが国連の重要な部分になりつつあるし、それをもって国連そのものが変わる方向にあるとも思う。
(司会:内田孟男 記録:千葉尚子)