情報化時代の国連とメディア
野村彰男
= 報告要旨
国連とメディアの関係はアンビバレントである。国連は、平和と安全保障はもちろん人権の尊重、貧困の撲滅、地球環境の保全などを課題とし、そうした課題の重要性を訴え、狭い国益を超えた地球益の実現をめざして加盟国の支援・協力を求めなければならない。もちろん、加盟国の世論の支持もとりつけるのが望ましい。そのためにメディアを味方につけ、メディアの力で問題の所在を広く国際世論に訴えるべくメディア対応には相当な神経を遣っている。とはいえ、メディアの側は自らの関心の赴くものを限られた視点でしか報道しないで終わることが多い。残念ながら、情報化の時代の到来と通信手段の向上は、必ずしも「情報の質」を保障するものではなく、むしろ報道よりエンターテイメント、売れるニューズ、視聴率をかせぐニューズへの傾斜を深めていると言わざるを得ない。多様な価値観、複雑な利害対立が渦巻く国際政治の現実を反映して、国連はしばしばディスインフォメーションや一面的な報道に苦しめられている。
◇ 情報化時代の政治・外交
IT革命によって情報の伝達手段は飛躍的な向上をとげ、さらに変化を続けている。国境を超えリアルタイムで発信され流通する情報や映像は、国際政治、国内政治、あるいは内外の通貨、株式市場などに強いインパクトを与える。
とりわけテレビによって伝えられる戦争、紛争、地震、津波など自然災害の映像は「世論」形成に大きな役割を果たす。その結果、政府、外交当局、政治家などは早急な対応を迫られることになる。トランスナショナルに大量の情報が行き交うことになったことで、政府、国際機関は広範な国々、他の機関やNGO、国際世論に目を配り、調整しなければならなくなった。かつてであれば視野に入らなかったか、あるいは、黙殺されたかもしれない地域の紛争や惨状にも無関心を装うことは許されなくなった。(インド洋津波被害への空前の支援申し出)
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センセーショナリズムと劇場型政治
自由な情報の流通と情報に明るいインフォームド・シティズンの存在は民主社会の成熟度をはかる物差しとされる。情報化時代は、政治、外交の透明性や政策決定者のアカウンタビリティを高めるという効果をもたらし得る。しかし、それはメディアの伝える情報が正確で、バランスのとれた報道がなされ、視聴者や読者に多様な選択肢が提示されるという前提があってこそ成り立つ。
強烈な映像やセンセーショナルな報道が世論を動かし、政治指導者や外交当局がその世論に縛られて姿勢や政策に硬直性をもたらし、「始めに結論ありき」の状況を生む例は近年、国連の多国間外交の場面や日中、日朝など二国間関係でしばしば経験してきたところである。(イラクの大量破壊兵器情報、瀋陽総領事館の脱北者一家問題、朝鮮半島情勢と拉致問題、その他)
国際政治、国内政治も「劇場化」が著しい。政治家、外交当局が以前にも増して、メディアでの情報の伝えられ方、あるいはテレビの映像効果を期待して、政治行動をとり、外交日程や外交の舞台を決める傾向にある。
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メディア状況
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英語メディアの優位 国際報道では英語メディアが圧倒的な市場支配を誇る(AP、ロイター、CNN,FOXニューズ、BBC)。意図的ではないにせよ、そこでは英語圏の価値観、強者、先進国の論理が報道の判断基準として陰に陽に幅を利かせることになる。アルジャジーラの登場が一石を投じはした。
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巨大メディア・系列化 米国を始めフランス、英国などでも巨大資本による既存メディアの統合や系列化が進行している。これまでのところ、それは取材網の拡大や報道の深化をもたらさず、効率化、合理化の企業論理によって、経営者が必要ないと判断する取材や報道はカットされる傾向にある。
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管理される戦争報道 とりわけ戦争報道をめぐるメディア状況は深刻といわなければならない。9・11同時多発テロ、アフガン戦争、イラク戦争では、米メディアそのものが「国益」や「愛国心」にからめとられた。悲惨な実相に迫る報道、隠された真実をえぐる報道なくして、誤った政策の軌道修正は期待できない。
◇ 国連とメディア
国連の視点からみて、国際情報をめぐる報道で真っ先に指摘すべきは情報の南北格差であろう。安保理を中心に国連を舞台とした政治外交の綱引きでも、強国の論理とりわけ唯一の超大国アメリカの関心や利害が支配的な役割を果たす。報道もともすればそうしたパワーゲームの帰趨にのみ関心が集中する。メディアが狭い視野、偏った視点で報道することで失われるものも大きいが、メディアの視野から欠落してしまう問題、つまり、報道されないために国際社会の関心が向けられず、深刻な事態や早急に対応すべき状況が放置される結果になることで失われるものも極めて大きいといわなければならない。
国連改革をめぐるメディアの報道、とりわけ日本のメディアの報道は、国連の改革ビジョン、国際社会の現状をどうとらえ、なぜ国連は改革しなければならないのか、という全体像が示されることないまま終わった。国連が「国際社会の鏡」であるとすれば、メディアもまた自ら身を置く「国家・社会の鏡」というべきか。
= 全体討論
野村:日本のメディアの場合は特に、わかりやすくということが強く、なぜとか歴史的背景についての報道が少ない。全体像を示すことが欠けている。国連改革がなぜ必要なのか。アナン報告書やパネル報告書に関する報道でも、国際社会における脅威をどうみるかといった視点がない。
内田:最近の年次報告自体、序論部分が短く、全体像もなく各論へ行く現在の年次報告は改良の余地がある。質問だが、client orientedというがクライアントは誰を指すのか。
野村:彼らが意識しているのはメディアではないか。
内田:広報センターにくるような若い人は対象にしないのか。
野村:若い人向けには、アスパラ・クラブやブログを考えている。国連を知らない人たちに興味を持ってもらいたいからだ。
碓氷:まず、民間の新聞社に公共財の役割を果たしてもらうのであれば補助金が必要ではないか。民間は売れるものしか売らないので、対策は制度として考える必要がある。次に、今はかなりいろいろな専門的なウェブ・ニュースがある。情報はあるところでは密になっている。市民もまた自発的にニュースをだしている。メディアの概念は大きく変わっているのではないか。これらのニュースを読む専門家達がマルチなレベルでつながれは、いずれは加盟国に反映されるのではないか。
野村:残念ながら専門家といわれる人たちが世論を動かしているかというとそうではない。メディアを通じた世論形成がなされないと、今の流れでは財務省などは動かないだろう。
高橋:メディア・新聞側は書くネタを必死に探している。他方で国連がメディアに何かを書いて欲しいと必死にアプローチする。その間を埋めるものが必要だが、今日の話を聞く限りかなり難しい気がしている。
野村:確かに悲惨な状況ではある。いろいろな試みはしているが、今、世の中で話題になっていることにつながらないとなかなか記事にならない。
久山:日本のメディアは不勉強ではないか。やはりプロアクティブに、資金を払ってでも、シリーズを一人の人がシステマティックに連載するなどが必要だ。
内田:明石さんがDPIの局長だった時、朝日新聞やルモンドなどに補助を行って国連の記事を載せた例もある。
野村:日本の新聞ではどうなるかわからない。ジャパン・タイムスには、スペースをもらったこともある。
高橋:新聞は基本的に反権力であって、新聞にでるということは9割方、批判の対象になるということだ。批判されるのがいやなら出ないほうが良いのであって、どうして出たいのか改めて考える必要がある。イメージはリピートされると親しみがわき、何かあるときにポジティブに反応する。これを国連とメディアに当てはめて考えると、散々書かれてたたかれるか、全く書かれないかのどちらかであって、この中間が最もよくない。現状は、たまにでるだけであるからネガティブな記事ばかりなのではないか。
野村:反権力で国連を扱うといっても、日本政府と国連、拠出金と国連、イラクへの対応などについて批判精神を加盟国、日本政府や外交政策へ向けることも出来る。国連の活動の正統性を評価できるときもあると思うが、そのような記事はなかなか出ない。日本の主張のみを掲載する場合でも、その主張の正統性、国際社会での支持がどれほどあるか深く分析するものがなく、単純な道が多い。
功刀:メディアは誰かが報道を聞くミーンズであるだけでなく発信するミーンズでもある。情報化社会世界サミットでも準備段階から取り上げているが、市民社会と途上国が発信する権利を主張している。
野村:先ほどの記事を買うという話とは異なるかもしれないが国連は中東和平については毎年一回、記者を招待して会議を行っている。このような活動も意味があるのではないか。
(司会:功刀達朗 全体討論記録:久保田有香)