地球公共財と国連

内田孟男




■報告要旨

     グローバル化の進展は地球規模の問題の解決をより複雑にしているが、同時に人々の意識をも変化させてきている。国家の役割の変容が議論されているが、少なくとも、問題の解決のためには非国家アクターの協力と共同とが不可欠であると点については異論がないであろう。1990年代半ばに提示された、新しいパラダイムとしてのグローバル・ガバナンスの概念と理論は、このような歴史的背景と文脈の中で理解される。「国際」公共秩序から「地球」公共秩序、「国際公共財」から「地球公共財」へのシフトはこのような状況を、先取りして反映しているものと考えられる。

     伝統的に国際公共財と考えられてきた自由な貿易・通貨システム、公海の航行の自由などに加えて、貧困の削減も90年代半ばにブレトンウッズ委員会によって、国際公共財と定義されている。国連開発計画(UNDP)の『地球公共財』(1999年)は、地球公共財の特徴、分類、そして、その供給に関する分析を行い、議論を一歩進めたといえる。公共財の供給には、世界銀行の報告書(1997年)によれば国家の自発的意思に委ねられているとされた。しかし、国家を含めて、公共財に関連するすべてのアクターは、何らかの責任をおっており、その自由は実際上の必要、社会の期待、道徳的義務等によって制限され、現実には、多数の国際的条約や取り決めによって責任を課されていると理解すべきであろう。

     国連憲章を地球公共財との関連で検証すれば、国連は優れて地球公共財の供給のために創設されたことが確認できる。確かに、第二次世界大戦直後には、開発、環境、人口、さらに国内紛争といった現代地球社会が直面している問題に対する認識はなく、基本的に国家間の平和と安全の維持に国連の存在意義は求められていた。それから60年を経た現在、国連は新たな問題に柔軟に取り組んできており、付随する諸機関の設置と、機能の変革によって、地球公共財供給のために、世界世論の形成、政策立案、そして実施を含む活動を行っている。このことは、国連の正統性にとって極めて重要である。コロンビア大学のD.ボダンスキーは、国際的正統性は、@源泉(神、伝統、カリスマ)、A手続き(行政的、司法的)、B成果(社会福祉)に基づくと指摘している。

     国連にとっての正統性は、国連憲章、民主的手続き、そして地球公共財の供給にあるといえる。特に、貧困にあえぐ途上国の人々にとって、より良い生活への実質的な成果が最重要であり、国連が「我ら人民」といった場合の正統性は、人々の生活環境の向上と相関関係にある。世界的な世論調査の結果は、自国政府に対する信頼性よりも、国連に対する信頼性の方がはるかに高いことを示している。しかし、国連はその正統性を人類の未来についての展望と理想という「源泉」(憲章)にこれまで、依拠してきたのではないか。設立から60年の歴史を振り返って、はたして、理想の約束が、これからの国連の正統性にとって充分ではないことがより明らかになってきている。国連の設立初期においては、未来の展望という約束が正統性を担保したであろうが、還暦を迎えた国連は、まさに「成果」を求められているといえる。正統性と効率性との関係は、安保理改革についての議論の中で、多くの場合相反する要素として提示され、効率性を維持するために、より正統であると認められる議席の拡大に慎重な意見がきかれる。2つの概念は補完的であれ、対立するものではない点を明らかにするべきであろう。

     国連システムそして国連本体の機能も包括的で多岐に渡っている。国連のどの機関が地球公共財の供給に最も適しているであろうか。イニス・クロードが言及した「第一の国連」と「第二の国連」の区別はこの点で示唆的である。前者は事務局で人類全体の福祉と地球環境の保全に対して責任を持ち貢献する立場にあり、後者は加盟国の協議体(総会や安保理)で自国の利益を第一義的に追求する。したがって、地球公共財を供給するために事務局は、問題の所在を確定し、それに対する科学的な調査をし、世界の世論の覚醒に努め、地球公共政策の策定に対して提案をし、加盟国の合意を育成するなど、知的なリーダーシップを取ることが期待されている。事務局はまた各種の現地での業務を通して、部分的には地球公共財を自ら供給している。

     グローバル・ガバナンスが国家、国際機構、市民社会、ビジネスといった多様なアクターの共同による問題解決の枠組みである以上、各アクター間の調整とパートナーシップは不可欠である。そのパートナーシップ構築の「中心」となるユニークな立場にあるのが事務局である。事務局は加盟国にサービスを提供するに止まらず、市民社会やビジネスとも提携関係を強化している。21世紀の諸問題は、複雑性を強めると同時に、相互の関連性を密にしているといえる。例えば、環境、開発、女性、人権、人口問題はほとんど切り離せない位に一体となっている。1990年代から主催された世界会議はこのことを明らかにし、世論の形成と政策策定へと寄与したといえる。

     このように考えると、国内レベルと地球レベル双方において「公共」の意味を再検討する必要が出てくる。公共政策は公共の福祉のために公の機関が行う政策だけではなく、非公式の市民社会や民間セクターといったアクターによる行動と活動は「公共」政策の一部を構成する。ガバナンスは、公共政策よりも広く多様なアクターを抱合している。地球公共財はそのような多様なアクターによって供給され、国連、特に事務局はその重要な「活動の調整の中心」に在るといえる。ただし、グローバル・ガバナンスの概念と理論はまだその萌芽期にあり、実践の上からも困難に直面している。その重要なアクターである国連事務局ないし国際公務員制度も近年においては、強化されるよりは、厳しい試練に直面している。地球的規模の解決そして地球公共財の供給の必要性についての認識はある程度形成されてきてはいるが、そのアクターの役割については、広範囲な合意形成はこれからの課題といえよう。


■全体討論

     内田教授の論文『新たな地球公共政策に向けて』を踏まえたうえで、今日の報告では2つの問題提起があった。第一に公共の意義の変化、第二にグローバル・ガバナンスの実証性についてはけっかでなく、プロセスとして捉えないと実証は困難となる。グローバル・ガバナンスの正統性に関連して、近年の状況では国家にとどまらず、多様なアクターが関係しており、より広範な正統性が問題となる。マルチステークホルダー間の共働的インタラクティブなプロセスが、リーダーシップの役割を果たし、そのプロセスそのものが権威と正統性をもち始めている状況が注目される。

     実証性の観点からは、計量的評価が困難であること、Inter-subjectiveな問題ではあるが、どのように浸透し、また正統性を確保できているかが問題である。これにも関連し、環境分野ではマルチステークホルダーの研究成果が出てきているが、ソフトローの形成においては機能しつつも、気候変動やCSDなどハードローの分野では機能しないといわれている。

     環境分野の交渉は国連ではなく、先進国中心のWTOのフォーラムが望ましいという主張があるが、どのようにマルチステークホルダー・プロセスを生かすかが重要である。事務局が仲介者としてパートナーシップを促進し、成功例の積み重ねがGPG供給に寄与するのではないか。民間部門から色のない資金を引き出す枠組みも重要課題である。

     国家と企業とUNの関係については、多くの国のGDPと売上高を比べると企業の方が大きい場合も多々ある。企業は代表性がないものの実質的インパクトは持っている。本当にUNがガバナンスを発揮しようとするならば、それらを取りこむ必要があるのではないか。地球公共というならば、必ずしも国である必要はない。公平性と透明性と正統性をふまえ、力がある主体が必要である。したがってUN自体も変わる必要がある。正統な代表性の仕組みをどのようにつくってゆくかが問題。

     国連と市民社会の関係において、市民社会の重要性は増してきており、その接点としての事務局の重要性を見逃すことは出来ない。Global Compactのリーダーズサミットでは、国家代表、学者、ビジネスの三者がそれぞれに重要な役割を果たしたが、これは国連、特に事務局のイニシアチブにより可能になった。PKOの例においても、事務局、事務総長の役割は重要である。また報告書などを通じて世界全体への働きかけを行なうなどしている。ガリ、アナン両事務総長はリーダーシップをそれなりに発揮してきた。

     国際公務員制度はゆらいできている。国際社会におけるビジョンを描いたり、重要な役割を果たすべきであるにもかかわらず、加盟国政府はそれを望んでいない。しかし、国連は国際社会におけるアジェンダ・セッティングの役割をもっているばかりか、さらに発展へのビジョンを打ち出す必要がある。

     公平性の価値観を持って中間財としての制度と道筋が作られるが、MDGs達成プロセスで指標化できないものについてはコンセンサス形成が重要。

     しかしながら、現状ではMDGsの中間報告において、2015年までの絶対的貧困者数の半減の達成が困難であるとの見通しを発表するなど、悲観的である。打ち出した目標に対する実績が伴わなければ、国連の正統性は半減してしまうのではない。
     
     昨年から来年までの1年半で6つの報告書(@Human Security報告書、A今年2月ILOによるGlobalization、Bカルドーゾ・リポート、C12月の国連事務総長パネル、D来年はGlobal Public Goods、EMDGsに関するジェフリー・サックスのレポートが出るが、これらはパッケージとして考えられるのではないか? そこには問題状況の拡散化があらわれており、政府間対応の不全がある。そのコンテクストでGlobal Public Goodsが取り上げられた。今後は政府がこの問題を取り上げて、フランス、スウェーデン、メキシコなどによるGPGが発表される。そのようなコンテクストにあって、GPGの内容はEvolvingである。2つめに、UNDPのGPGを含め、そのエッセンスは何なのか、この進展のプロセスで探って行く必要がある。結論としてはまだ分かっていないが、それは現在ongoingのプロセスであるため。第3に、落しどころとして、価値論が出てくるのではないか? Global Governanceでは価値中立的だったが、GPGではある程度打ち出すのではないか。価値とそれを追及するプロセスを解きほぐして行くと、市民社会は価値論で定義したPrivate Goods/Public Goodsの担い手となり得る。また、国家はむしろGPGを破壊してしまう状況もあるかもしれない。国際公務員制度のあり方は、決議の担い手から、地球公共財の担い手へ変化するのではないか。その役割に不具合を起こした場合齟齬が起る。このような議論の整理にはそれぞれの報告書から抽出される価値の共有が必要であり、一体として包括的に捉える必要がある。

記録:村上裕公)



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