昨日、外務省でNGO担当の早乙女大使、民間援助支援室の城所室長と会いましたところ、(1)ODA現象の中でNGOへの予算が増えていることは政府のNGO重視のあらわれである、(2)NGOは、各国との相互依存と友好促進を目指し、その組織、機能を強化せねばならない、(3)プロジェクトを持続的なものとするためフォローアップの費用も支給できるようにしたい、(4)プロジェクトの予算費用が詳細・明確に記載されていると申請許可が速やかなものとなる旨伺い心強く思いました。
1. 湾岸戦争とバルカン紛争にかかわる人道支援
1991年の湾岸戦争直後、イラクから約180万のクルド人がトルコ、イランへと流出した。国連はかつて難民高等弁務官を務めたサドルジン・アガカンを国連イラク人道支援担当の国連事務総長代表に任命し、クルド難民とイラク人困窮者を助けるための緊急支援に着手した。バグダッドには、国連の職員が約200名、欧米のNGO関係者が約300名、これに加え国連のガード約500名が派遣された。
私が副調整官として3年の勤務を通し、最も苦心したことはサダム政府の仕掛ける妨害行為から支援活動に従事する関係者の身の安全をいかに守るかという問題であった。
当時のイラク人道支援は年間約8億ドルの予算で全国にわたり食料、薬、医療機材、日用必需品等の配布と住居、給水施設の修復であった。邦人NGOは主としてクルド難民の救済活動をイラン側とイラクとトルコの国境地域で行っていた。
日本は湾岸戦争後の人道支援に遅れをとったことから、バルカンの支援活動においては、1994年、いち早く柳井ミッションを派遣し、クロアチアにボスニアからの難民500人とヴコバァルの国内避難民500人計1,000人収容の日本難民センターの建設を決めた。センターは、1995年の夏の戦争でセルビア軍のロケットが建設の現場近くに落下するということもあったが大体予定通り同年10月に開所した。
バルカンの人道支援には、AAR(難民を助ける会)、JEN(日本緊急救援NGOグループ)、AMDA(アジア医師連絡協議会)、ピースウィンズなどの主要な邦人NGOが参加し、ほぼバルカンの全域にわたり、自己資金のほかに政府の草の根、またマイクロ・クレジットの資金も受けて、医療、自活、教育、児童・老人福祉等の救済事業を展開した。
日本難民センターは今も難民、避難民のトランジット・センターとして引き続き使用されており、現在破損したシャワーのボイラーやトイレのとりかえ工事が計画されている。
2.コソボの民族対立と人道支援
1999年のコソボの紛争においては約百万のアルバニア人がマケドニア、モンテネグロ、セルビアに流出した。これらの避難民は、NATO軍の激しい空爆によりセルビア軍がコソボから撤退することとなったので、同年秋には帰還の運びとなった。まずは住居、水、電気等のインフラの修復が必要となり、日本政府は約2億ドルの資金を主要な邦人NGOと国際機関に提供した。
法人NGOはすでに隣接の地域で支援活動をしていたので、コソボの支援では、欧米のNGOと同時にコソボに入った。同時に政府の資金手当ても敏速に行われた結果、邦人NGOの活動はここで始めて欧米のNGOに匹敵するものとなった。
コソボの復興支援において、現地で特に注目をひいたプロジェクトはテレビ局の修復と視聴機材の供与である。この支援により、日本の支援プロジェクトはいつも大きく放映され、日本の顔を高めている。
また、コソボにおいては、邦人NGOがUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)、UNICEF(国連児童基金)、WFP(世界食糧計画)等の邦人スタッフと従来にない緊密な協力関係を築いたことも特記に値する。
日本政府はアルバニア人、セルビア人、ロマの民族間の融和に貢献することをモットーとして緊急、次いで復興の支援を継続している。そのため、双方の民族に恩恵がもたらされるように、学校修復、保健所建設、医療や清掃の機材供与等に取り組んでいる。
コソボは今なお、決して十分安定した状況ではない。一旦どこかで対立の事件が起こるとそれが連鎖反応を起こし、各地でアルバニア人がセルビア人の学校、住居、正教徒寺院を破壊する。多国籍軍約2万人の駐留をもってしても、人口約200万(アルバニア人185万人、セルビア人10数万人)のコソボ全域の平和維持は容易ではない。
3.人道支援の性格と分野
人道支援の性格を大きく分けてみると、第一は純粋な同情に基づき、例えばスラム街に入り困窮者を助けるような心情的なものである。第二はカンボディアに見られるように、日本との関係が重視されてなされるバイ的なものである。そして第三は直接的な国と国との利害がなくとも、日本が国際社会の一員として欧米諸国と足並みをそろえて実施するマルチ的なものがある。日本から遠く離れたバルカンは、第三のケースとなる。しかしこのカテゴリーの支援といえどもそれがわが国の国際貢献として重要であることは言うまでもない。
従来しばしば指摘されてきた問題は、各国際機関やNGOが陽の当たる緊急援助には精を出しても、後の復興、そして開発という段階には支援が続かないことである。予算の制約もあり簡単ではないが、在ベオグラード大使館は極力三段階の支援が円滑に結びつくようにと工夫し、その一例として学校修復と平行して火力発電所の修復工事を進めている。
またカンボディア難民の帰還支援においては、日本政府は帰還後に難民が順調に農業を発展しうるように、農業訓練センターを300万ドルの資金で設置して三段階の支援を結びつけることに成功した。
種々のタイプの支援活動において、医療、建設、教育資材贈与などの支援はやりやすいものである。一番苦労するのは自活促進のプロジェクトである。土地の事情に詳しいマーケティングの専門家の協力が不可欠である。また国全体の経済が右肩上がりでないと持続的な成果を期待することは難しい。従って、大切なことは最初から土地の住民、団体と十分に時間をかけて相談し、彼らの技能、経験をのばす方向に作業を設定し、かつ全参加者の団結心を確かめてスタートすることであろう。
4.日本のNGO活動の将来
日本のNGOの発展は、幅広いかつ自主的な国民参加を要する。多くの市民、特に若い人たちが海外の人道活動に参加することは、国民全体の国際情勢の理解を高め、また現実的なバランスのとれた国策、外交の基礎となる。
また欧米のNGOがますます国の積極支援を資金面と、また現場の治安確保の面で受けて、大規模かつ敏速に緊急事態に対応する態勢を固めているのを見ると、日本も強力なNGOの育成に努め、急を要する場合には軍用機も使用して救援物資やNGOのスタッフをフィールドに輸送しうることが期待される。
また今後、NGOの役割には物的救済事業のみならず、ソフトの広報文化交流の仕事も増えていくわけであり、そのための準備も進めなければならない。
今後、多数の国民の参加の実現するためには、国際機関への協力を要請を受けて資金を提供するということではなく、EUや米国の例にならい、国際機関が計画しているいくつかのプロジェクト一括引き受けることとして資金も引き出し、これを完成し、国際機関に協力するというプロジェクト・貢献の道を思い切って開拓することを提案したい。